天満神社摂社 式内 吾野神社
概 要
社 号 天満神社
読み: てんま
摂社 延喜式神名帳 式内社 丹後国與謝郡 吾野神社
所在地 京都府与謝郡与謝野町加悦字天神山50-1
旧地名 丹後国與謝郡加悦郷
式外社
近代社格制度 旧郷社
御祭神 本社御祭神 菅原道眞
例祭日 10月第1日曜日
摂社 式内 吾野神社
御祭神 我野廼姫命(かやのひめのみこと)
社格等
式内社 吾野神社論社
読み:古 ワカヤ、現 アガノ、ガヤとかアガヤ
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
與謝郡(ヨサ):20座(大3座・小17座)
境内摂末社(祭神)
末社
吾野神社 我野廼姫命(かやのひめのみこと)
梅宮神社 木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと)
稲荷神社 保食命(うけもちのみこと)
竈神社 澳津彦命(おきつひこのみこと)
太神社 伊勢大神(いせのおおかみ)
金刀比羅神社 金山彦命(かなやまひこのみこと)
恵比須神社 事代主神(ことしろぬしのかみ)
秋葉神社 迦具土命(かぐつちのみこと)
一口メモ
吾野神社論社は、
須津彦神社「去來穗別尊、黒比賣命」京都府宮津市須津字吉里1564
吉野神社「吉野大神」京都府宮津市文殊字宮ノ谷287
天満神社「菅原道眞」京都府与謝郡加悦町大字加悦字天神山50-1
三社あるが、付近に円墳があり、 吾野山古墳という。この祭神の呼び名我野迺姫(かやのひめ)が、「加悦」の語源と伝えられている。
天満神社は天正14年に他所から遷されたので、元々吾野山といわれていたこと。
祭神我野迺姫(かやのひめ)から我野(カヤ)だったのに吾野と記すようになり、アガヤと訓じるようになった。
須津彦神社・吉野神社は加悦谷ではないこと。
よって当社が式内吾野神社としては有力だ。
歴史・由緒等
式内社 吾野神社
天満神社本殿左から、一段登った天神山頂上にある。周辺は弥生期から古墳期の墳墓群がある。境内案内図にも吾野神社が書かれていないし、神社にも表示がないが、これが式内社と推定。
天満神社由緒等: 当社中郡二箇にあり、のち与謝郡四辻天神河原に移り、更に嘉歴4年加悦町宮野に移る。 天正14年安良山城主有吉省宥等4名により今の天神山に移す。
丹波道主の子孫という細目道春の子、倉彦が菅原道真に仕へ道真が九州太宰府に配流の後倉彦は丹後に帰り道真の霊を祭り三度奉遷し現在の天神山に祭る。 細目より細見の姓になり代々神宮として奉仕している。
『平成祭データより』
カヤという地名はこの社と深い関係があると見ている。延喜式の読み仮名は「ワカヤ」神社であり、主祭神は加悦の女首長の我野廼姫命(かやのひめのみこと)。
「室尾山観音寺神名帳」の「与謝郡六十八前」に、
従二位 吾野(アガヤ)明神
(誰がいつつけたものかアガヤと訓がふられている。)
境内・社叢
社叢 正面鳥居
天満宮ならではの牛の狛犬(牛が狛犬に)
北側参道
参道右手末社
境内 拝殿
拝殿扁額 本殿
式内社 吾野神社
天満神社より一段と高い天神山の頂上にある。周辺は弥生期から古墳期の墳墓群がある。境内案内図にも吾野神社が書かれていないし、神社にも表示がないが、これが式内社と推定。
秋葉神社(左)金刀比羅神社(右) 太神社(吾野神社への参道途中)
稲荷神社 梅宮神社(左)竈神社(右) 境内本殿の反対側
山を挟んで参道の反対側に境内への道があるとあとで知った。舗装されていて、走行に不安はない。
地名・地誌
「和名抄」與謝郡加悦郷
南北朝期~戦国期 加悦庄(賀悦荘)
江戸期~明治22年 宮津藩領与謝郡加悦町
明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。
明治22年~昭和30年 加悦町と算所・加悦奥・後野の3か村が合併して加悦町が成立
平成18年 与謝郡与謝野町
「ちりめん街道」といわれ賑わった旧国道176号線と豊岡市加陽(かや)とは加悦奥から但馬出石に通じる府道・中藤加悦線が交差しが神社のすぐ北で交差する。加悦谷の西部に位置する中心部で、加悦谷においては、中世より町場として開けた所、小字名に中市が残っている。丹後縮緬で興隆した。
地名の由来は、古代に茅原であったためとも、地内の吾野神社の祭神我野迺姫(かやのひめ)のからとも、朝鮮半島南部の古代国家・伽耶(カヤ)国の国名からともいう。
加悦谷奥の古墳も豊岡市大師山古墳も、他に古墳と異なる横穴式古墳である。天日槍は新羅国の王子といわれるが伽耶ではないか?任那とも。朝鮮半島南部は鉄と機織りなどに長けた同じ倭人であり、九州北部から出雲にかけて出雲族であり、
我野媛またの名『我野廼媛』を祭る。吾野神社として、延喜式神名帳に記され、名実ともに式内社である。付近に円墳があり、 吾野山古墳と称す。
この祭神の呼び名が、「加悦」の語源と伝えられている。野の神で、大山祗命の妃となった。地名の由来は、古代に茅原であったためとも、地内の吾野神社の祭神我野迺姫(かやのひめ)のからとも、朝鮮半島南部の古代国家・伽耶国の国名からともいう。
≪加悦町誌より≫
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「神詣」さん、「延喜式神社の調査」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」さん
2件のコメント
中筋敏明 · 2013年2月6日 12:23 PM
今は埼玉県飯能市に合併された旧・吾野町という地域に「吾野神社」と「我野神社」という神社があります。どちらもアガノ神社と呼ばれているようです。
kojiyama · 2018年1月19日 7:28 PM
中筋敏明 様
コメントを整理していて見逃していることに気が付きご返事が大変遅くなってしまい申し訳ございませんでした。
情報ありがとうございました。