式内 久我神社(京都市北区)
概 要
社 号 式内 久我神社
賀茂別雷神社境外摂社(賀茂別雷神社第八摂社)
読み くが
別名 氏神社とも
延喜式神名帳 式内社 山城国愛宕郡 久我神社
所在地 京都市北区紫竹下竹殿町47
御祭神 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
上賀茂神社文書によれば近世には国常立尊等の異説も存在した
例祭日
春祭 4月1日 、秋祭 11月1日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
愛宕郡(オタキ) 21座(大8座・小13座)
式内社
近代社格制度
創建
本殿様式 一間社流造
境内摂末社(祭神)
文化財
久我神社境内 京都市指定史跡
一口メモ
北山通から大徳寺通を北へ260m。以前に参拝を試みて探したが、都合で行けなかったので、個人的に思い入れがある神社で、ようやく訪れることができた。
歴史・由緒等
延喜式内の古社。神武天皇御東進の際、八咫烏と化って皇軍を導き給い、賊徒の平定に功をたて、のち山城国に入り、この地方に居を定めて専ら国土の開発、殖産興業を奨め給うた最初の神であって、賀茂県主の祖神である。
本殿は一間社流造りで、拝殿と共に寛永5年(1628年)の造営である。
鎮祭当時より大宮と称えられたので、その前の通りを大宮通りと呼ぶようになったと言う。
京都市の指定史跡である。
社頭掲示板
境内・社叢
鳥居 社号標
社頭掲示板
手水舎 境内
拝殿 本殿
御神木跡
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