式内 久麻神社
概 要
社 号 式内社 但馬国城崎郡 久麻神社
読み:古 クマ 現 くま
所在地 兵庫県豊岡市大字福田字大門196
旧地名 但馬国城崎郡城崎郷
御祭神 熊野忍隅命(クマノオシクマノミコト・クマノクスビノミコト) 久麻直(クマノアタエ)
『国司文書 但馬神社系譜伝』熊野連祖 饒田命(小田井県主)
例祭日 10月7日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡(キノサキ):21座(大1座・小20座)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳(『国司文書 但馬故事記』に、第四代懿徳天皇(いとくてんのう)の三十三年夏六月)
本殿様式 流造柿葺
境内摂社(祭神)
子宮神社・春日神社・秋葉神社
一口メモ
国道178号線を竹野方面へ。ゆるいカーブにある信号を福田区内へ。突き当りに小高い丘がそびえる所に鳥居が見える。下陰から進むと福田交差点手前カーブに神社入口をしめすものだと思われる石燈籠が立っている。まっすぐ進むと神社の丘の下の鳥居がある。
歴史・由緒等
『国司文書 但馬故事記』
第四代懿徳天皇(いとくてんのう)の三十三年夏六月、
味饒田命の子、佐努命(さぬのみこと)をもって、小田井県主となす。佐努命は味饒田命を亀谷宮に祀る。
『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇二代綏靖天皇(すいぜいてんのう)の二十三年夏五月、
甘美真手命の子・味饒田命(ウマシニギタ)を小田井県主(城崎郡の古名)と為す。亀谷宮に在り、是れまた山跡国(山城)に還る。
人皇二十六代武烈天皇の七年夏五月、味饒田命の裔・熊野連を以て城崎郡司と為し、氏神と為し、改めてこれを斎き祀り、久麻神社と申しまつる。
久麻直(くまのあたい)
阿武隈川を擁する福島盆地、令制国での陸奥国信夫郡(しのぶのこおり)(現福島県福島市(旧信夫郡を包含)、伊達市及び伊達郡)にあった信夫国を支配した国造。
信夫国造は、『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、成務天皇の時代、阿岐国造と同祖の久志伊麻命(くしいまのみこと)の孫である久麻直(くまのあたい)を国造に定めたことに始まるとされる。
律令制下に入って、養老2年(718年)から養老6年(722年)または神亀元年(724年)3月にかけての短期間であるが陸奥国から石背国(いわせのくに・現在の福島県中部・西部)へ分割された経緯を持つ当地は、大和朝廷の北進を代表する多賀城築城までは、ヤマト王権の及ぶ最北端の地として蝦夷と対峙していた。存続は数年間にすぎず、養老4年 (720年)11月26日から神亀5年(728年)4月11日にかけてのいつかの時期に陸奥国に復した。(以上)
境内・社叢
社頭 参道の石段
二の鳥居 拝殿
狛犬はふつう向い合って配置されているが、ここは正面を向いて2対づつ4体並んでいる。何か意図があるのだろうか? 本殿覆屋
本殿右手摂社 子宮神社 春日神社
階段上に 境内社 秋葉神社
地名・地誌
福田
古くは野田
但馬考に、現在の豊岡市宮井付近を本拠にした宮井氏の一族。奈佐太郎高春の御家人宮井(太郎兵衛尉)盛長が中古より奈佐樋爪庄と称す。表米の三男をおき、、日下部伝記に、鎌倉の時、奈佐春高という者あり。朝倉高清の嫡子を養子にして奈佐太郎高春が中興し、岩井谷を治めて福田荘とする。山名氏の時、篠部伊賀守が治めた。
福田区はかつては五荘村といい、北を森津、西を栃江、東は中陰に隣接する要所。明治4年の廃藩置県で、但馬8郡、丹波3郡、丹後5郡を管地する豊岡県が設置され、本市域はその県庁所在地となりました。明治9年には府県の再統合によって豊岡県は解体され、兵庫県と京都府に合併しました。明治22年の町村制施行により、豊岡町ほか9か村が誕生。昭和8年に八条村、昭和18年に田鶴野村及び三江村と豊岡町合併。昭和25年、豊岡町と五荘村、新田村、中筋村が合併し、総面積80.8平方km、人口31,610人をもって、県下で10番目に市制を施行。昭和32年に神美村の一部を、昭和33年には日高町の一部を編入して、平成17年4月1日、合併までの豊岡市の市域が形成されました。平成17年4月1日、兵庫県の北東部に位置する1市5町(豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町)が合併し現在に至っています。
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