式内 伊居太神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 伊居太神社

式内社 摂津国河邊郡 伊居太神社(論社)
読み: 古 イコタ、現 いこた
所在地 兵庫県尼崎市下坂部4丁目13-26
旧地名 摂津国河辺郡(川辺郡)

御祭神
武甕槌神(タケミカヅチノカミ)
配祀 経津主神(フツヌシノカミ) 天兒屋根命(アメノコヤネノミコト) 姫大神(ヒメオオカミ) 市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト) 大將軍(オオイクサノキミ)

元は坂合部連の祖神「坂合部大彦命」を祭祀
例祭日 10月9日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
河辺郡:7座(並小)

近代社格制度 旧村社

創建     仁徳天皇77年11月13日。
平成7年(1995年)1月の阪神大震災で社殿等が倒壊し、平成11年(1999年)4月に新社殿等が再建。
本殿様式

境内摂末社(祭神)

一口メモ

摂津国河辺郡の式内社、伊居太神社の論社の一つ。もう一つの伊居太神社は池田市綾羽に鎮座する伊居太神社(いけだじんじゃ)。同じく式内社 伊佐具神社(尼崎市上坂部)と300mしか離れていないこと、また伊佐具神社の由来に「当社は市内で唯一の式内社。
とあり、同社を伊居太神社ではないと疑問視する説もある。しかし、池田市綾羽に鎮座する伊居太神社が式内社だとするのも、伊居太神社は摂津国河辺郡に記されており、猪名川東岸は豊島郡になること、伊居太神社は元は坂合部連の祖神「坂合部大彦命」を祭祀したとされ、御祭神が穴織大神等で全く別である。

歴史・由緒等

由 緒

新撰姓氏録摂津神別に、「坂合部大彦命之後也、允恭天皇御世造立国境之標因賜姓坂合部連」と記載されている。

大彦命は孝元天皇第一皇子で、大彦命の子孫である坂合部連は朝臣として、允恭天皇に仕え、日本国内の国の境の標示造立し、当地域を開拓した。それが何の日か坂部から下坂部とよぼれるようになった。

尼崎市の中で最大のこの古墳は、坂合部連の氏族祖神の古墳である。その後古墳上に、神社を建立して祖神を崇敬したものと思われる。創祀年歴は不詳である。

当初は氏族の首長大彦命之及び子孫を御祭神として、長歳月にわたり祀られたが、藤原氏の全盛期、当地域を支配した藤原の祖神である春日大社を勧請奉祀したものであろう。

人皇第60代醍醐天皇が制定された延喜式神名帳に、川辺郡に式内小社伊居太神社とあるのは、当神社である。
古老の伝承によれば昔、春日大社より神の使者、白い神鹿が到来したと云う。

明治6年、村社に列せられる。

平成7年1月17日未明、阪神淡路大震災により大災害を蒙り、氏子崇敬者の浄財で平成11年4月吉日社殿手水含等が竣功した。

-「兵庫県神社庁」-

『大阪府全志』には池田市の伊居太神社を式内社とし、川辺郡小坂田村(現伊丹市)から豊能郡に遷座したとする。これは「摂津志」の説に依拠するもので、そもそも「条里制から見ても豊島郡で川辺郡でないから神名帳は郡を誤っている」との指摘もある。

『兵庫縣神社誌』に「大阪府豊能郡池田町の伊居太神社は、呉織里の呉織祠のあるところ。中古同地方の繁栄にともない、穴織大神を祀る当社を同町の入口に遷座して産土神と仰ぎ、呉織祠の御旅所と定め、いつしか呉織祠を伊居太神社と混称するに至る」とあり、旧地名でいえば当地に鎮座する伊居太神社の方が該当する。(ウィキペディア)

境内・社叢

  
鳥居                    手水舎


社頭掲示板

  
境内                   拝殿

   
狛犬

  
拝殿扁額                  本殿

  
境内社 稲荷神社

地名・地誌

坂部

「上坂部・下坂部は大彦命の子孫てある坂合部連が住んでいた土地ともいわれ、久々知の地名も命の子孫久々智氏から名付けられたようです。
当社は朝廷より神酒を賜わる例になっていたといわれ、また神酒を上坂部で醸造したため、酒部といったともいわれています。さらに一説では、神崎の地名が当神社の前という意味の神前から起ったと伝えられています。」

伊佐具神社掲示板

地 図

兵庫県尼崎市下坂部4丁目13-26

交通アクセス

公共
◆JR福知山線「尼崎駅」北口、又は「塚口駅」東口より市バスで「近松公園バス停」下車すぐ横手
◆阪急神戸線「塚口駅」または「園田駅」より市バスで「近松公園バス停」下車すぐ横手


◆山手幹線通りの下坂部北交差点を近松線通り北へ200m、伊居太神社前交差点横手
近松線通りの下坂部北交差点北200m北へ
又は若王子交差点南へ300m伊居太神社前交差点の横手
駐車場 あり(6台)境内東出入口

周辺情報

伊居太古墳

近松公園の東側を通る府道近松線を渡ると伊居太古墳がある。ここは5世紀頃に築造された市内最大の前方後円墳で、この地に勢力をもった豪族の墳墓と伝えられている。この古墳上に鎮座している。この地域は、弥生時代以来の集落が発達した地で、悠久の歴史とロマンスを秘蔵するが如き鎮守の森、黄土色粘土でかためた前方後円墳の後円部の中央に、当神社が鎮座している。

参 考

「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他

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