舞鶴市 官社(式内社) 京都(丹後国)

式内 伊知布西神社

概 要

社 号 式内社 丹後国加佐郡 伊知布西神社
読み: 古 イチフセ、現 いちぶにし

江戸時代は市布施明神(旧語集)、市布施神社(丹哥府志)
所在地 京都府舞鶴市桑飼下杉ケ迫216
旧地名 丹後国加佐郡宇谷庄
御祭神 伊弉册尊(いざなみのみこと)

例祭日 10月10日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
加佐郡(カサ):11座(大1座・小10座)

近代社格制度 旧村社

創建        年代不詳
境内神社
神明神社(祭神 国常立命)
稲荷神社(祭神 保食神)
三柱神社(祭神 奥津彦命 奥津姫命 火産霊命)
兵主神社(祭神不詳)
八坂神社(祭神 素盞鳴尊)
水無月神社(祭神不詳)
地主神社(祭神不詳)

末社 原谷神社

一口メモ

舞鶴、福井県高浜町、おおい町までの式内神社探訪も、加佐郡で笑原神社ともう1社残していることがわかった。国道175号を由良川橋の手前で55号を直進5.7km行った道沿い。反対からは175号を北上し、橋(府道533号)から55号に東850m。
伊知布西とは珍しい神社名。伊知布の西とは何なのか?伊知は市分か市場の西にある神社ということか。桑飼となる前は伊智だったのだろう。

なお、デジカメでは露出が足りず振れるので、スマホで撮影した。再度撮り直したい。
2012.7.15 写真を撮り直した。

縁起・由来

「延喜式」神名帳の加佐郡伊知布西神社に比定される。旧村社。隣に「桑飼下縄文遺跡跡」の石碑が建つ。
祭神は道振命(丹後旧事記)、あるいは伊奘諾尊・伊奘冉尊(伊智布西神社取調書)などの説がある。
江戸時代には市布施明神(旧語集)、市布施神社(丹哥府志)と称され、『丹後旧事記』に祭神は市布西明神 道振命とある。桑銅下村の氏神であった。

『舞鶴市史』
伊知布西神社

由良川流域の上流に、桑飼下の伊知布西神社があって、延喜五年(九○五)の創祀と伝えられている。祭神は道振命(丹後旧事記)、 伊奘諾尊・伊奘冊尊などと混乱がある。
「丹後国式内神社取調書」は道振命について、越前国敦賀郡の市振神社(式内社)を参考にあげているが、その経緯
は明らかではなく、伊知布西と市振の字音の類似から引用したものと思われる。「特選神名牒」はこの市振神社は廃絶したとしている。なお、境内社の兵主神社は全国的に分布しており、奈良県の「穴師坐兵主神社」(名神大)が有力で、兵主神は穴師の神人により信仰が伝播されたらしく(折口信夫全集)、 上安の高田神社にも同名の境内社がある。

由緒 延喜年中帝都雷鳴烈しい際御祈願に依って同五乙丑の年御造営になつたものであるが、其の頃は当村名を伊智布西村と称していたのによつて伊智布西神社と號したのである。現在の社殿は明和三年八月八日再建されたものである。

境内・社叢

  
社頭                     社号標


手水舎

  

本殿覆屋                               本殿覆屋 左摂社 右摂社

   
狛犬

 

本殿左境内社    参道右手境内社

地名・地誌

桑飼下

桑飼下は舞鶴市の西南部。由良川右岸に位置し、南は綾部市。
かつて自然堤防上に一間幅の道路を挟んで街村型の集落をつくり、宿屋・雑貨屋があり、牛市が年一回開かれていた。伊智布西神社から由良川に至る自然堤防上に縄文から平安時代にかけての遺物・住居跡が発見された。小字原に一色義季の居城と伝える原城跡がある。
明治40年由良川の水害により20戸が流失、21戸が減水とともに倒壊したため南部の山すそに集落が移転した。
桑飼下村は江戸期~明治22年の村名。桑飼下は同22年から岡田上村の大字名、昭和30年加佐町、同32年からは舞鶴市の大字。

《加佐郡誌》
桑飼上、桑飼下の二ケ字はもと岡田下村字久田美共に、宇谷庄を成していたものである。

「丹後国式内神社取調書」
桑飼村伊知布西明神ト云テ桑飼ハ桑垣ナリ

地 図

京都府舞鶴市桑飼下216

参 考

「神詣」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」さん、『延喜式の調査』さん

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