式内 佐々婆神社
概 要
社 号 式内 丹波国多紀郡 佐々婆神社
読み:古 サゝハ、現 ささば
江戸時代は「樂々庭明神」「八幡宮」
所在地 兵庫県篠山市畑宮377
旧地名 丹波国多紀郡
御祭神
天忍穗耳尊(あまのおしほみみのみこと)
別名 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
應神天皇、後鳥羽天皇、春日大神、住吉大神
(配祀) 天児屋根命 住吉三神(表筒男命 中筒男命 底筒男命)
例祭日 10月6日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
多紀郡(タキ):9座(大2座・小7座)
近代社格制度 旧県社
創建 年代不詳
本殿様式 流造 檜皮葺
境内摂社(祭神)
稲荷社
一口メモ
大賣神社から県道544号線を南に800m進む。
城北(交差点) を左折して 県道301号線 に入る。
3.3 kmで右折し500 m。
入って想像以上に広い境内と社殿に驚いた。参拝後、人気のない社務所の横に犬がつながれているのに気がついた。あちこち撮影していても吠えずにおとなしくしていたのだ。賢そうな犬だ。近づくと起き上がって人懐っこそうだが知らない犬は少し怖い。立派に番犬をしているのか、生きた狛犬だなぁ。
歴史・由緒等
神社名は、古代より神の祭祀場をササバということによります。もとは神南備とされる八百里山の麓にありました。中世に畑(曽我部)荘の総社となり、八幡神、春日神、住吉神等をお祀りし、更に縁によって、延宝元年(1339)後鳥羽上皇のご分霊を隠岐から迎え、合祀したといいます。
境内に、後鳥羽院の宝塔と細川満国の百度石があります。毎年10月第一土・日の例祭には流鏑馬の神事が行われ、神輿3基、山車十台、太鼓神輿七台が出て壮観華麗です。
祭神 天忍穂耳尊、応神天皇、後鳥羽天皇、天児屋根命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、春日大神、住吉大神
第7代孝霊天皇の勅命によりて創立すると伝えられる古社にして延喜式内社となり、古来皇室の崇敬厚く崇神天皇の御代丹波国平定したまえる日子坐の長子佐々君の祖神志夫美宿根一族の奉斉せられたる社にして実に社名の起由する所なり。
沿革
第7代皇霊天皇の勅命によりて創立すと伝えられる古社にして、延喜式内神社となり、古来、皇室の崇敬篤く、崇神天皇の御代丹波国平定し給へる日子坐王の長子佐佐君の祖神志夫美宿弥一族の奉齋せられたる社にして実に社名の起由する所なり。
神輿三社造立 万治3年、延宝7年、松平若狭守泰信
鳥居再建 元文5年松平紀伊守信岑(現在の鳥居で郡内最古の木造建築であり、現在までに十数回根継修理されている)
社殿再建 安永8年青山下野守忠高(現在の舞堂なり)
社坊再建 嘉永5年青山下野守忠良(現在の社務所なり)
村社に列す 明治6年10月 県社に昇格大正10年7月
拝殿再建 昭和14年(現在の拝殿なり)
当拝殿以下新建物は人皇第7代孝霊天皇の当神社御仰祭より御享200年を迎えまつる式年大祭を奉祀まつり当社の氏人の建立し奉る処なり。
丹波太神宮(幣殿)
明治維新の制、政府が三丹州鎮祭のために皇大神宮より御分霊申し上げた天照皇大神を始めまつり、国内諸神社の御分霊氏子歴代の御祖霊、元篠山忠霊殿神祭の和魂を移管奉斉する御由緒正しい御社柄におわします。
「境内掲示板」
境内・社叢
社頭掲示板
鳥居 入り口の手水舎(止栓未使用)
狛犬
社殿全容 社殿
左の社 丹波太神宮(幣殿) 右の神饌所 立派な絵がある
丹波太神宮と社務所の間に社らしき建物があるが不明 本殿左前に井戸
境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
『延喜式の調査』さん、他
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