式内 兵主神社 (山本)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 兵主神社・貴布弥神社
延喜式神名帳 式内社 但馬国城崎郡 兵主神社二座
読み: 古 ヒャウズ 現 ひょうず
江戸時代は「兵主貴布禰神社」「貴船神社」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市山本字鶴ヶ城100-1
旧地名 但馬国城崎郡三江郷
御祭神 速須佐男神(スサノオ)
合祀 高淤伽美神(タカオカミ)
『国司文書 但馬神社系譜伝』素戔嗚神・武雷神
例祭日 10月14日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡(キノサキ):21座(大1座・小20座)

近代社格制度 旧村社

創建     天平18年(746)12月
本殿様式   流造 瓦葺

境内摂社(祭神)

稲荷神社

一口メモ

豊岡市山本の田結庄左近将鑑是義の居城鶴城が築かれていた愛宕山北方中腹にある。北近畿タンゴ鉄道宮津線の道路をまたぐ鉄橋の北のそばにある。城跡へは船町にも愛宕山登山口があるが、この神社にも愛宕山登山口とある。夏の暑い日差しで長い参道の石段がきつい。奥には「貴布祢の道」と書かれた道らしきものがあるが、今は竹藪となっていて行くのは大変そうだ。社殿の後方に愛宕山へ登る道があり、「愛宕神社 0.5km」という表示がある。山頂の「愛宕神社」は以前に鶴城に登ったときに行った。

歴史・由緒等

 

『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇四十五代聖武天皇の天平十八年冬十二月、本郡の兵庫を山本村に遷し、装丁を招集し武事を調練す。佐伯直(今の豊岡市一日市)岸麿を以って判官(ジョウ)*となし、火撫(ヒナド・今の豊岡市日撫)直浅茅を以って主典(サカン)と為す。判官・佐伯直岸麿これを祀る。

(註 判官・主典
律令官制では、長官・通判官・判官・主典の4等級による組織体系がとられ、このほかに事務の点検を行う検勾官がおかれていた。)

 

境内・社叢

  
鶴城跡の愛宕山へも続く長い石段       手水舎と境内

  
鳥居・社殿は南を向いている

  
兵主神社と貴布祢大明神の二枚の扁額     本殿


本殿を覆屋で守ってある

  
境内社                   「貴布弥の道」 本殿奥に愛宕神社参道

地名・地誌

地 図

兵庫県豊岡市山本100-1

交通アクセス・周辺情報

鶴城址


愛宕山

山頂から豊岡市街

 

鶴城は豊岡市を貫流する円山川の東方の愛宕山上に存在した山城で、永享年間(1429~41)、但馬守護職山名宗全による築城と伝えられる。戦国時代になると、「山名四天王」の一人田結庄氏の居城となった。但馬有数の規模を有した城で、三方に延びる尾根上に広がる南北660m、東西460mの城域には曲輪が連なり、堀切、土塁を多用され、戦国期特有の畝状竪堀も設けられている。

参 考

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