網野町・弥栄町・丹後町(竹野郡) 京丹後市 官社(式内社) 京都(丹後国)

式内 奈具神社(京丹後市弥栄町)

概 要

社号 式内社 丹後国竹野郡 奈具神社
読み:古 ナク 現 なぐ
所在地 京都府京丹後市弥栄町船木奈具273
旧地名 丹後国竹野郡
御祭神 豊宇賀能賣神(トヨウカノヒメ)=豊受大神
例祭日 10月11日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
竹野郡(タカノ):14座(大1座・小13座)

近代社格制度 旧村社

創建 不詳
本殿様式

境内摂社(祭神)

秋葉神社 可遇土神(かぐつちのかみ)
若宮神社 素盞鳴命(すさのおのみこと)

一口メモ

深田部神社と同じ稜線で、国道482号にある新しい案内標識が整備されているのでわかりやすい。国道482号から広い道を東へ600mほど行くと北側に神社が接している。丹後王国の中心、弥栄町にある奈具神社と溝谷神社は、以前から必ず訪れてみたい神社のひとつだ。

歴史・由緒等


羽衣伝承の社。穀霊と白鳥が結びつけられた話は、福貴の神が遠い世界から訪れる古代信仰を示している。「奈具」は、やすらぎを意味する「奈具志久」に由来するらしい。

由緒

むかし、丹波の郡比治の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里にとどまり、 万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、 汝は吾が子ではないと追い出してしまいました。
天の原ふりさけみれば霞立ち
家路まどいて行方しらずも
と詠って、比治の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきました。 そして「此処にして我が心なぐしく成りぬ」(わたしの心は安らかになりました)と云って、この村を安住の地としました。 此処で終焉を迎えた天女は村人たちによって、豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)として祀られました。 これが竹野郡の奈具の社です。
以上が奈良時代に編纂されたとされる「丹後の国風土記(逸文)」が伝える奈具の社の縁起です。
ー境内案内板「延喜式内 奈具神社の祭神について」ー

奈具社は現在は船木に鎮座するが、その旧地は舟木里奈具村で、その奈具村は中世の大洪水によってことごとく流失したと伝え、遺跡地は未詳とされている。奈具遺跡などの地で船木谷下流の谷口になる地ではなかろうか。鎮座地は船木奈具で、ここの旧奈具村の端にあたるのかも知れない。祭神は豊字賀能売命。式内社。旧村社。
「丹後国風土記」逸文に「奈具社」がみえる。村の西方の姫石町は豊宇賀能売命が死去した所とされ、往古豊宇賀能売命が醸酒した手洗池があったの伝説があり、それがこの地のよう。古代の「旦波大縣」の範囲内と思われる。
嘉吉3年(1443)の洪水で奈具村全村が流失し廃村になったと伝え、当社の旧鎮座地は明らかでない。祭神は外村の溝谷神社に移され、代表者が参拝していた。社殿は流失後現社地に再建され、天保3年(1832)式内号・霊石の返還を求めて争議が生じたが果さず、明治6年(1873返還された。風流田楽の「船木の踊子」民俗芸能が伝承される。
明治6年に奈具神社は、1443年からの溝谷神社合祀を離脱し、現在地に再建。

境内・社叢

053  055

一の鳥居                 二の鳥居

056  062 (1)

拝殿と両脇の境内社            手水鉢

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本殿脇境内社 秋葉神社 若宮神社

地名・地誌

地図

京都府京丹後市弥栄町船木奈具273

交通アクセス・周辺情報

参 考

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