式内 宇治神社
概 要
社 号 宇治神社
読み うじじんじゃ
延喜式神名帳 式内社 山城国宇治郡 宇治神社二座 鍬靫
江戸時代までは、「宇治離宮明神」・「離宮八幡宮」あるいは「離宮上社」(宇治上神社)・「離宮下社」(宇治神社、若宮ともいう)とも呼ばれた
所在地 京都府宇治市宇治山田1
御祭神 菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと/うぢのわきいらつこのみこと) 第15代応神天皇皇子
(『日本書紀』では皇太子)で、第16代仁徳天皇は異母兄にあたる。
菟着雅郎子の他に大鷦鷯尊(仁徳天皇)を祀るとする説…『特選神名牒』
応神天皇を祀るとする説
菟道雅郎子の母矢河枝比売を祀るとする説…『宇治市史』
がある
例祭日 5月8日 例祭 6月8日 例祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
紀伊郡 8座(大3座 小5座)
式内社
近代社格制度 旧府社
創建
本殿様式
境内摂末社(祭神)
(本殿左手) 伊勢神宮 高良大社 松尾大社 廣田神社
(本殿右手) 住吉大社 日吉神社 春日大社
文化財 本殿 国重要文化財
彩色木像「菟道稚郎子命坐像」 〃
木造狛犬 宇治市指定重要文化財・歴史資料館委託
白色尉面 宇治市指定重要文化財
一口メモ
宇治神社・宇治上神社を通る白い石畳の「さわらびの道」は、土産物店、茶店など古い佇まいの風情がある旧道。観光客が多く本来は散策コース。
宇治川の北岸に接して、平等院と相対している。
歴史・由緒等
『宇治神社公式サイト』の御由緒によると、
宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮:きりはらひけたのみや)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の宮居の跡と伝えられており、菟道稚郎子命の死後にその神霊を祀ったのが、この神社の始まりです。
応神天皇が菟道稚郎子命を皇嗣と定められ、命の御兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと 後の仁徳天皇)を太子の輔導にあてられた。これは、わが国の古代の慣例で、なるべく若い者に嗣がせた方が一代の活躍期間が長く、国の繁栄を期待する可能性が強いとされていたからである。
ところが、菟道稚郎子命は博士王仁(わに)から儒教の思想を受けておられ、長男相続説を守っておられたので、応神天皇崩御の310年に兄宮に皇位に即かれるようにと勧められた。しかし、大鷦鷯尊は日本的な思想の方で、互いに皇位の譲り合いが続いた。
菟道稚郎子命は御父天皇崩御の後、312年に宮居を菟道に移され、皇位を早く定めて天下の煩いを除くために自害せられ、兄宮に譲られたである。御神徳
宇治の産土神(うぶすながみ)としての信仰は勿論のこと、幼い頃より聡明で、王仁などについて学問の道を極められ、我が国文教の始祖として、現在も学業・受験合格祈願などのお参りが多い。
江戸時代までは、「宇治離宮明神」・「離宮八幡宮」あるいは「離宮上社」(宇治上神社)・「離宮下社」(宇治神社、若宮ともいう)とも呼ばれ、2社を合わせて一体視されていたというが、延喜式当時の状況は不明。しかし、通常は二座という場合、一社に2柱の神を祀ることをいうから、元は宇治上神社(祭神:二座)一社であったと思われ、宇治市史は、「菟道河のほとりの母子神を中心とした宇治神社の信仰は、ワキイラツコとその父・応神天皇をまつる上・下二座の神へと発展し、やがてそれに前掲の神々が加わって今日にみる宇治神社と宇治上神社の祭神に至ったものであろう」という。
境内・社叢
鳥居
手水舎 拝殿(桐原殿)
二の鳥居 中門(拝所)
拝所脇狛犬
本殿(神社公式サイトより)
(本殿左手末社) 伊勢神宮 高良大社 松尾大社 廣田神社 (本殿右手末社) 住吉大社 日吉神社 春日大社
地名・地誌
朝霧橋 宇治神社前の宇治川にかかる朱色の欄干が美しい橋
地図
交通アクセス・周辺情報
京阪宇治線 宇治駅 徒歩約5分
JR奈良線 宇治駅 徒歩約10分
京阪バス 京阪宇治停留所 徒歩約5分
京滋バイパス 宇治東IC 車で約5分
参拝駐車場 35台 ¥700/日
参 考
神社公式サイト http://uji-jinja.com、「戸原のトップページ」さん、「延喜式の調査」さん
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