式内 岐尼神社
概 要
社 号 式内 岐尼神社
式内社 摂津国能勢郡 岐尼神社
読み:古 キニ、現 きね
江戸時代は「枳根大明神」と称していた
所在地 大阪府豊能郡能勢町森上103番地-3
旧地名 摂津国能勢郡
御祭神
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト) 天児屋根命(アメノコヤネノミコト) 多田満仲
配祀
天照大神 伊邪那岐神 伊邪那美神 豊受比売神 速素盞嗚尊 中筒男神
綿津見神 大山祇神 宇賀御魂神 火産靈神 保食神 大歳神 大国主命 猿田彦神
金山彦神 応神天皇 小童命 八衢比売神 櫛御気野命 菅原道真 源満政
例祭日 4月15日 例祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
能勢郡[ノセ]:三座並小
式内社
近代社格制度 旧郷社
創建 不詳
天文10年丹波八上城主波多野與兵衛能勢に乱入
同18年塩川伯耆守国満と能勢小重郎が合戦社殿旧記焼亡
慶長10年領主太田和泉守再興
明治5年(1872)郷社
本殿様式 流造
境内摂末社(祭神)
住吉神社、恵美寿神社、大国神社、稻荷神社
一口メモ
能勢町に流れる山田川の合流地点北に鎮座。日本名門酒会の秋鹿蔵元がある町で一度訪れてみたかった念願がかなう。兵庫県・大阪府・京都府の府県境が集まり、能勢街道である国道173号線に面している。
歴史・由緒等
当社は其の創建の時代不祥なれども、延喜式に見えたる摂津国能勢郡岐尼神社にして、能勢郡神社仏閣由来に「嘉保2年2月乃西杵宮源政信建立」とあるは此時代に再建せしをいへるなるべし。乃をさかのぼる八百余年前、堀川天皇の時代に杵宮とも称せり。
元亀2年12月、織田信澄の乱入により当社は兵害に罹れること見えたり。其の後当地は慶長6年、太田和泉守の領地とする処となり、仝10年、領主太田和泉守手一の猪俣某を奉行となして枳袮社を建立せしと旧領主並に代々地頭役人記録に見えたるは、当社が再建の棟札に元禄5年11月、枳根大明神旧記に見えたり慶長10年の再建は、即ち現在の社殿にしてその後120年を経て享保12年に営繕をなせしことは枳根宮建立奉加帳の序及び仝年4月、枳根宮造営割付帳によりて推測せらる。明治40年2月11日、神饌幣帛料供進を指定された。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年
-阜嵐健『延喜式神社の調査』さん-
境内・社叢
境内案内板
社号標 手水舎
狛犬
正面 拝殿
本殿 本殿左手境内社
本殿右手境内社
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