雲南市(大原郡) 官社(式内社) 島根(出雲国)

式内 御代神社(雲南市)

概 要

社号 式内 御代神社

式内社 出雲国大原郡 御代神社
読み:古 ミシロ、現 みしろ
江戸時代は「尾留大明神」と称していた

所在地 島根県雲南市加茂町大字三代字宮東485
旧地名 出雲国大原郡
御祭神 素盞嗚命(すさのお のみこと)、稻田姫命(いなだひめ のみこと)、大山神(おおやまのかみ)
例祭日 10月26日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
大原郡(オホハラ):13座(並小)

『出雲国風土記』「御代社」

近代社格制度   旧村社

創建     天平5年(733)『出雲国風土記』に記載があるのでそれ以前
本殿様式   大社造 曽木葺

境内摂末社(祭神)

高麻神社・稲荷神社

一口メモ

八口神社から数分で低い丘陵地の上に集落があり、北からでも南や西からもいい道がついているが、結局わかりやすい県道に戻って北からめざす。

歴史・由緒等

由来・沿革

当社は延喜式神名帳ならびに出雲国風土記「御代社」に登載された古社である。

主祭神・素戔嗚尊ご鎮座の起源は遠く神代の昔にさかのぼり、尊の八岐の大蛇(やまたのおろち)退治の神蹟と尊の神格により、この地方の拓殖を遂げられた御偉業に起因するものである。

尊が高天原より天下り給い簸(ひ)の川上(斐伊川上流)に至って、八岐の大蛇をご退治になったとき、大蛇狂乱の末その頭は下神原の草枕に、その尾は三代の地に斬り留められたと伝えられる。これを以て中世以来、社号を尾留大明神と称せられた。 特筆すべくは、元の御代神社の社地辺りが三種の神器の一つ天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の発祥の地である。

合祭されている大山咋命(おおやまくい-)は、五穀豊穣・家庭日常生活の守り神としてそのご神徳を仰ぎ広く信仰されている。当地方は大昔から治水事業に腐心を重ね、氏神さまを中心にして生活してきたものである。その年号は不明であるが、江州・滋賀県大津市坂本の日吉大社より大己貴命(おおなむち-大国主命)始め二十一神を分霊勧請したものである。

社記によれば加茂町大字三代字東に鎮座し給う日吉神社は出雲国風土記に登載されている屋代郷比和神社で、その後日吉神社と称し神原村大字三代宮の東である現御代神社地に建立された。 (中略) 現社号の御代神社と称号されるようになったのは明治維新改正後のことである。明治三年(1870)に国家神道となり明治五年(1872)に村社に列し、大正元年(1912)当社は神原村大字大津より旧日吉神社の旧社地の現在地に移 転された。

- 「社頭掲示板」-

スサノオ命がこの地で八岐大蛇の尾を斬ったところ剣が出てきた。これが天叢雲剣、いわゆる草薙の剣である。 旧社地は字大津。中世、大津の丘陵地に移転。大正元年さらに日吉神社の社地である現在地の字宮ノ束に移転した。 -「延喜式神社の調査」さんより- 加茂町神原のスサノオ命がこの地で八岐大蛇の尾を斬ったところとされる八口神社から御代神社旧社地は程近い。同じヤマタノオロチ伝承を残す神社が隣接し、この地がその有力地であることか。

境内・社叢

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狛犬 来待石の構え獅子型

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境内入口狛犬 来待石お座り型 鳥居の前は構え獅子で威嚇し神社を護り、鳥居をくぐれば参拝者を受け入れてお座りしている感じ。

  
手水舎                  随神門

  

拝殿                   拝殿扁額

  

本殿

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境内社

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地名・地誌

地 図

島根県雲南市加茂町三代485

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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