式内 桑原神社(森本)
概 要
社 号 式内社 但馬国美含郡 桑原神社(論社)
読み:古 クハハラ 現 くわばら
江戸時代は「桑原大明神」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市竹野町森本字苗原463-1
旧地名 但馬国美含郡竹野郷
御祭神 稻倉魂神(うかのみたまのかみ) 大己貴命(おおなむち のみこと)
(稻倉魂神は倉稻魂神の誤記だろう)
久邇布命・天熊人命『国司文書・但馬故事記』
苗原神社とするならば、天熊人命
例祭日 10月15日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
美含郡(ミクミ):12座(並小)
式内 桑原神社(論社)
桑原神社 兵庫県豊岡市竹野町森本463-1
桑原神社 兵庫県豊岡市竹野町桑野本字稲蔵1164
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂社(祭神)
稲荷神社・若宮神社
一口メモ
豊岡市街からだと国道178号線を進み、江野トンネルを抜けた後、森本で178号線から森本へ下った地点、北向きに参道入口がある。森本高架橋から南側に鳥居が見えるのだが、地図を番地で捜すと簡易郵便局付近を指すが、わからないので、畑仕事をされているおばあさんに聞いて、バイパス下にすぐ参道があると教わり、高架橋の下をぐるぐる捜しまわった。
式内 桑原神社は論社が2社ある。
桑原神社 兵庫県豊岡市竹野町森本463-1
桑原神社 兵庫県豊岡市竹野町桑野本字稲蔵1164
歴史・由緒等
由 緒
創祀は不詳ではあるが、神社の周囲には苗原遺跡があり、古代に桑原臣の一族が住んでいたと云う。-「兵庫県神社庁」-
つまり、地元でもよく分かっていないようである。
『国司文書・但馬故事記』に重要な記載を見つけた。
人皇22代清寧天皇三年夏五月、桑原臣の祖多奇市は勅を奉じ、多遅麻に下り、桑を植え、蚕を養い、絹を織り、これを
貢上 る。朝来県桑市邑、美含県 桑原邑・長糸邑これなり。(長糸は長井)
五年夏六月、桑原臣多奇市を以て、美含県主と為す。多奇市は崇神天皇の皇子、豊城入彦命の八世孫なり。
人皇25代仁賢天皇二年秋八月、桑原臣多奇市はその父久禰布を桑原邑に祀り桑原神社と云う。(桑野本)
人皇44代元正天皇は天下に令して、地方の荒れ地を開かせ、三世一身の制を定め給う。
然るといえども三世尽きれあれば、すなわち公に還す定めなり。これを以て、開発を為す者少なし。
人皇45代聖武天皇は、この制(三世一身の制)を改め、永く私領と為す制を定め給う。
これによって、高位高官は更なり、伴造・国造等の旧族に至るまで、国司・郡司の官を罷(ヤ)め、その地に住み、荒地を開き、土地を所有す。これ荘田の基なり。
神亀4年 大いに戸口蕃殖す。故れ口宣を下し、郷里を置く。曰く、佐須・竹野・桑原・美含・香住。
また編戸に満たざるを以って、故れ特に余戸(アマリベ)を置く。
(中略)
また大領・少領・主政・主帳等の子弟・同族は、諸所に出行し、部民を督励し、荒れ地を開く。桑原臣善積は、河南谷を開き、その祖桑原臣多奇市を星ケ森山に祀り、星神社と申しまつる。(河南谷は今の川南谷)
桑原臣善友は、苗原を開き、天熊人命を苗原ノ丘に祀り、
杉・檜を杉谷に作り、熊野大隅命を杉山に祀る。(杉山は今の須野谷)
また水災を祈り護う為、瀬織津姫神を大川森に祀る。(大川神社 豊岡市竹野町御又80-1)
佐自努公正躬は、谷村を開き、その祖佐自努命を谷丘に祀る。(式内佐受神社 今の香美町香住区米地417-2)
これ苗原神社・神原神社・熊野神社・大川神社・佐受神社の始めなり。*巨椋連
栲 津麿は、美含郷に来たり、山毛欅山に入り、旋工を始め、その祖豊鉢命を巨椋山に祀り、巨椋神社と申し祀る。(大倉神社 本見塚)*註
苗原神社 桑原神社の竹野町森本字苗原から、旧社号は苗原神社だと思う
神原神社 神原とはみはら、今の三原ではないか 産霊神社 豊岡市竹野町三原178-2
熊野神社 豊岡市竹野町須野谷611-1
大川神社 豊岡市竹野町御又80-1
佐受神社 美方郡香美町香住区米地字宮脇417-2
大倉神社 天豊針命 美方郡香美町香住区本見塚158-2苗原神社と呼ばれていたのが、のちに桑原神社と改めたのだろう。森本は竹野南地区の中心地なので、桑野本の式内桑原神社を勧請したとして不思議はない。
桑野本の桑原神社の御祭神は、保食神(うけもちのかみ) 仁布命
神名のウケは豊受大神の「ウケ」、宇迦之御魂神の「ウカ」と同源で、食物の意味である。食物神というだけでなく、「頭から牛馬が生まれた」ということから牛や馬の神ともされる。養父神社五座の二神も倉稻魂神・大己貴命である。森本の当社の御祭神 倉稻魂神(うがのみたまのみこと)は、京都・伏見稲荷大社の主祭神でもあり稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。穀物の神としてだけでなく、農耕の神、商工業の神としても信仰されている。
保食神は日本神話に登場する神である。『古事記』には登場せず、『日本書紀』の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。一般には女神とされる。同じ食物神である宇迦之御魂神(『古事記』)、倉稻魂神(『日本書紀』)とも同一視され、宇迦之御魂神に代わって稲荷神社に祀られていることもある。
境内・社叢
社号標 鳥居
社殿への石段 長い参道だが整備は行き届いている。
本殿覆屋 拝殿扁額
境内社 左手と右手に左右対称
境内左右の境内社は、『兵庫県神社誌』によると、
稲荷神社(倉稲魂命)と若宮神社(大宮比賣命)らしい。
とすれば同一神を本殿の脇に境内社として祀る意味が不明であるから、主祭神は 大己貴命(おおなむちのみこと)のみではないだろうか。
『式内社調査報告』では、桑原臣の祖・久邇布命が本来の祭神であるとする。桑野本の桑原神社のもうひとりの祭神 仁布命とは、久邇布命のことか?
久邇布命とは国を治めた命だから大己貴命こと大国主である。
だとすれば、
保食神=倉稲魂命
仁布命=久邇布命(すなわち桑原臣)=大己貴命=大国主
で、桑野本の桑原神社と森本の桑原神社とはまったく同じ祭神であることになる。桑原の臣から、昔はこの一帯を桑原と云ったのであろうか。
仁布は禰布(祢布 ニフ・にょう)、国布、または国府のこと。但馬国府は日高町祢布字祢布が森にあった。
地名・地誌
『国司文書別記 郷名記抄』(天延三年・975)
桑原郷
桑原郷は桑野臣在住の地なり。この故に名づく。今竹野郷を加うるの義あり。大臣家の懇望によるなり。
木谷村・苗原村・御幡村・綺部(カムハタベ)・蚕代部(コシロベ)・煮錬部・蚕内部・蚕南谷(省略)
大田文曰く(弘安年間:1278年から1287年まで)
竹野郷(タカノ)
今の村数29
宇日・由久比・竹野浜・切浜・草飼・松本・羽入・阿金谷・須谷(スダニ)・芦谷・小丸・鬼神谷・轟・下塚・大谷・金原・林・防岡・森本・神原・小城・二連原・御又・河内・門谷・須谷(スノタニ)・大森・桑野本・河南谷
1件のコメント