式内 槻折神社
概 要
社号 式内社 因幡国法美郡 槻折神社
読み:古 ツキヲリ 現 つきおり
江戸時代は「槻折大明神」と称していた
所在地 鳥取県鳥取市生山字上ノ山477
旧地名 因幡国法美郡
御祭神 大山祇命(おおやまつみ のみこと)
例祭日 4月8日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
法美郡[ハフミ]:9座大1小8
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式 流造 銅板葺
境内摂社(祭神)
一口メモ
国府町広西の多居乃上神社に行ってから県道194号線を生山へ。神社は集落の北にあり大きな社域の杜が見えていたが、あいにく県道194号線からは工事中で反対側から狭い集落の中の道を折れ曲がりながら行く。細い道とは対照的に鳥居から境内は広い。
歴史・由緒等
ウィキペディアによれば、
オオヤマツミ(大山祇命)は大山積神、大山津見神、大山祇神とも記す。別名 和多志大神、酒解神。
神産みにおいてイザナギ(伊弉諾尊)とザナミ(伊弉冉尊)との間に生まれた神。
神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。別名の和多志大神の「わた」は海の古語で、海の神を表す。すなわち、山、海の両方を司る神ということになる。
また、木花之開耶姫が彦火火出見尊(ひこほほでみ)を生んだことを喜んだオオヤマツミが、天甜酒(あめのたむざけ)を造り神々に供げたとの記述もあることから、酒造の神・酒解神ともされている。このほか、軍神、武神としても信仰されている。
オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。 八岐大蛇退治において、素戔嗚尊(すさのを)の妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎命・手名椎命(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。
その後、スサノオの系譜において、オホヤマツミ神の娘である神大市比売神(かむおほいちひめ)との間に大年神と倉稲魂尊(うかのみたま)をもうけていると記している。また、クシナダヒメとの間の子、八嶋士奴美(やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流姫(このはなちるひめ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主である。
天孫降臨の後、瓊瓊杵尊はオオヤマツミの娘である木花之開耶姫と出逢い、オオヤマツミはコノハナノサクヤビメとその姉の磐長姫を差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。
境内・社叢
鳥居 境内
拝殿 まだ新しい拝殿扁額
本殿
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