式内 生王部神社
概 要
社 号 生王部神社
式内社 丹後国竹野郡 生王部神社
読み:古 イクワウヘ、現 いくおおべ
江戸時代は「生野神社」と称していた
所在地 京都府京丹後市網野町生之内下大クゴ443
旧地名 丹後国竹野郡
御祭神 生王部神(イクオウベノカミ) 日本根子天津御代豊国成媛命(ヤマトネコアマツミトヨナリヒメノミコト=元明天皇) 稲倉持神(ウケモチノカミ)
例祭日 10月9日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
竹野郡(タカノ):14座(大1座・小13座)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂社(祭神)
境内社 若宮神社 御祭神不明
稲荷神社 倉稲魂命
一口メモ
国道178号線網野から峰山へ通じる府道17号線で3.7km。
生王部神とはめずらしい神だ。部民の一種なのかそのような部は史料に出てこない。
但馬豊岡の旧三宅に大生部神社があるが。
生王部は壬生部の誤記だとし壬生(ミブ、本来はニフ)ではないかといわれているようである。
歴史・由緒等
明治五年八月五日「生野神社」を「生王部神社」の社名に改称し京都府に屈け出た。明治一五年八月二一日改称許可になっている。近世には「生野神社」だったものか。しかし、中・近世の古い文献などに、「生王部(イクオウヘ)」「壬生部(ニフヘ)」「生玉部(イクタマヘ)」と宛てられたり訓まれたりしている記録もあり、社名の考証はむずかしい。このほか「生野明神ハ公庄村郡立(こおりだて)明神ノ方ナルヘシ」の説もある。また『丹哥府志』には「当区は元公庄に鎮座せる郡立神社の氏子なりしが故ありて明治七・八年豊岡県管轄時代に分離して生王部神を氏神とすといふ」の記事もあり、当社を観るとき-後述の公庄・郡立神社-と併せて考える必要があろう。(公庄の項参照) 『網野町誌』
境内・社叢
社叢 社頭案内板
拝殿 拝殿・本殿
境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
生王部神社のスダジイ 京丹後市指定文化財
スダジイは本州新潟県以南の日本各地に分布する常緑の高木で、タブノキとともに日本の常緑広葉樹林を代表する樹木である。
「生王部神社スダジイ」は樹齢300年以上と推定され、本殿参道石段の横に位置することから、神木として歴代保護されてきたものと思われる。
枝の一部に雪などによる物理的損傷が見られるが、効果的な保護措置がとられている。
こぶに腐朽菌もなく、再生根が見られ、葉も大きく樹勢も盛んである。平成3年に京都の自然200選、網野町ふるさと自慢100選にも選定されている京丹後市内最大のシイノキでもある。
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