式内 矢田八幡神社
概 要
社号 矢田八幡神社
式内社 丹後国熊野郡 矢田神社(論社)
読み: やだはちまん
所在地 京都府京丹後市久美浜町大字佐野字地シワ38
旧地名 丹後国熊野郡佐濃郷
御祭神 應神天皇、神功皇后、武諸隅命
(配祀)孝元天皇 内色姫命
例祭日 4月15日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
熊野郡(クマノ):11座(並小) 式内社
近代社格制度 旧郷社
創建 奈良朝
本殿様式 入母屋造銅板葺
境内摂社(祭神)
高良神社・水無月神社・若宮神社・御霊神社・社日社
一口メモ
国道312号線を海部小学校のある橋爪交差点から東へ低い峠を越えると野中交差点。佐濃小学校、佐濃郵便局がある。かつて佐濃郷(佐濃村)の中心地で、明治期の久美浜町合併前の形跡をまず例外なく証明してくれてありがたいのが、小学校区や郵便局だ。さらに峰山方面の比治山トンネル手間へ進むと佐野集落。国道482号と分岐する交差点で信号待ちをしていて、ふと矢田八幡神社社 号標が左手に気づいた。国道482号からは突き当りにあったのに全く気づかなかった。国道沿いに東へいけば、旧熊野郡と丹波郡(中郡)郡境の比治山峠(トンネル)をはさみ比沼麻奈爲神社がある。式内矢田神社論社のひとつで社は立派だ。八幡神社であるので、中世以降に郷社として海士の同社を遷座もしくは勧請したものだと思う。
歴史・由緒等
海士にある矢田神社と2つある熊野郡式内社矢田神社の論社である。
これ以外にも丹後各郡にほぼ矢田神社・矢田部神社が一箇所ずつある。
熊野郡 矢田神社「建田背命 配 和田津見命、武諸隅命」京都府京丹後市久美浜町大字海士
由緒
崇神天皇10年四道将軍の一人丹波道主命は勅命により山陰地方平定のため丹波国(今の丹後国)に至り、比治の真名井に館を構えられたが無事平定を祈願のため矢田部の部民をして祖神を祭らしめられ、熊野郡では矢田神社を祭祀せられた。当初の祭神は饒速日命、孝元天皇、その奥后内色姫命であったが、奈良朝に至り、当時の物部氏と蘇我氏の争いからついに物部氏亡び蘇我氏の探索は当地にまでおよび矢田部一族はそれを恐れ、宇左八幡宮を勤請して社名を矢田八幡と改めた。その後建武より文亀に至る160年間は山城岩石清水八幡宮佐野別宮と称せられていた(古文書あり)。
当時佐野谷14ケ村の氏神として崇敬されてきたが、現在は佐野、小桑2ケ村(部落)の氏神となっている。明治の中葉社務所焼失のためほとんどの文書を焼失したが、焼残り文書の一つに「神霊由来記」がある。それによると「丹後国熊野郡佐野村延喜式神名(中間破損)矢田八幡神社十一座の内矢田神社矢田者則八幡之中略也(以下略)とあって、当社が熊野郡式内神社十一座の一社である事を示している。当社の付近に矢田谷という地があるが、住古矢田部族の住居地であったと伝承し、今古墳屋敷跡用水池などが残存し、時々高杯布目瓦等の出土しその一部は神社に保管してある。
大正5年12月幣饌科供進神社に指定を受けた。境内地坪2,400坪、外に宮所有山1町1反、社殿は文政3年9月再建。孝元天皇と内色姫命の両神像(木造)は京都府文化財保護課神島技官の鑑定にて藤原時代の作と認められ、康治(平安)2年薬師像(木造)有り、古文書は建武2年(1335)、貞治2年(1363)、文亀2年(1502)の3通い何れも石清水八幡宮の文書冩にして当社に関するもの、及び延享2年(1745)豊岡県神社神主書状一巻。(式内社調査報告による)
「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年
ヤタ(矢田)、矢田部とは
矢つまり戦いで勝ち取った領地田を矢田といい、そこに住まわせた配下の部民を矢田部とした。またはヤハタ(八幡)と同じではないだろうか?四道将軍の一人丹波道主命は勅命により山陰地方平定した。そして当初の物部系ご祭神である国津神から応神天皇、神功皇后としたのであろう。{武諸隅命|たけもろずみのみこと}は、矢田部造の遠祖。崇神六十年七月十四日、天皇の「武日照命(穂日命の子・建比良鳥命のこと)が天から持ってきた神宝が出雲の大神宮にある。それが見たい」との詔により、出雲に遣わされる。
出雲臣の祖・振根は筑紫に行っていて留守だったため、その弟の飯入根が神宝を差し出したという。
別名を大母隅。(『紀』) 『旧』天孫本紀にも同様の記載があり、復命したのちに大連になり、神宮(石上)を奉斎することになったとある。
ただし、大母隅は彼の弟で、別人。
物部胆咋宿禰の娘・清媛を妻として、多遅麻らを生むという。
境内・社叢
国道沿いの社号標から鳥居までまっすぐな参道 鳥居
参道 参道登り口境内社
参道 御神門
拝殿 本殿覆屋
拝殿扁額
境内社 複数の祭神が配祀 境内から参道を
地名・地誌
熊野郡の郷5…田村 佐濃 川上 海部 久美 佐野 古くは丹後国熊野郡佐濃郷 1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行に伴い、熊野郡に久美浜村・久美谷村・湊村・神野村・海部村・川上村・田村・下佐濃村・上佐濃村の9村が成立する。(9村) 1894年(明治27年)11月24日 – 久美浜村が町制施行し久美浜町となる。(1町8村) 1951年(昭和26年)1月1日 – 上佐濃村・下佐濃村が合併し、佐濃村が発足。(1町7村) 1951年(昭和26年)4月1日 – 久美谷村が久美浜町に編入。(1町6村) 1955年(昭和30年)1月1日 – 久美浜町・湊村・神野村・海部村・川上村・田村が合併し、久美浜町が発足。(1町1村) 1958年(昭和33年)5月3日 – 佐濃村が久美浜町に編入。(1町) 2004年(平成16年)4月1日 – 久美浜町が中郡峰山町・大宮町、竹野郡網野町・丹後町・弥栄町と合併し、京丹後市が発足、郡より離脱。同日熊野郡消滅。
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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