式内 石部神社(安土町)
概 要
社 号 石部神社
読 み いそべじんじゃ
別 名
所在地 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6222
御祭神 少彦名神 天照大神 高皇産靈神 大己貴命 櫛日方命
御神紋 左三ツ巴
例祭日 4月5日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
蒲生郡 11座 大1座 小10座
近代社格制度
創建 年代不詳
本殿様式 一間社流造
境内摂末社(祭神)
文化財
一口メモ
安土城百々橋口を少し登った場所に鎮座。安土城は一度登ってみたい。
歴史・由緒等
社伝によると景行天皇21年4月鎮座と伝えられている。延喜式内の石部神社ともいわれている。明治9年村社に列す。
「滋賀県神社庁」
祭神 少彦名命・天照皇大神・高皇産霊神・大己貴命
社記には石部神社天神高宮と有りて人皇第12代景行天皇21年4月15日吾地山に社殿を造営し勅使の参向を得、盛大なる鎮座祭を斉行す。同2年更に勅使参向の栄に浴す。安土山湖水に臨み其の南麓を磯辺の岡と号し社を石部神社と称す。
人皇第60代醍醐天皇延長3年延喜式勅撰に依り神名帳に録載せらる式内社なり。当社は人皇第46代孝謙天皇御宇左大臣橘諸兄右大臣藤原豊成及び大納言平時忠郷等の崇敬最も篤く櫟杓・宝剣、宝玉、榊八枝等を奉納せられしなり。
降りて天正4年織田信長公安土山に築城するや守護神として奉祀し社殿の修復をなし祭祀を厳修せり、その後兵乱に際し社宝・文献散逸したるも之を社伝書に記し今に伝う。
当社に国宝厨子入木造薬師如来の座像あり(厨子に明徳2年10月の銘あり、平安時代の彫刻なり)明治44年8月国指定。
京都国立博物館に出陳す。社頭掲示板
境内・社叢
安土城百々橋口道
鳥居 社号標
手水舎 拝殿
本殿
境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
安土城址 大手道
ホームページ
なし
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