高浜町 福井(若狭国・越前国)

式内 青海神社

概 要

社 号 式内 青海神社
式内社 若狭国大飯郡 青海神社
読み:古 アオウミ、現 あおうみ
所在地 福井県大飯郡高浜町青15-1
旧地名 若狭国大飯郡青郷
御祭神 椎根津彦命(しいねつひこのみこと)=倭(大和)国造の祖
合祀 應神天皇 神功皇后 比咩大神 倉稻魂命
読み:古 アオウミ、現 あおうみ
例祭日 10月17日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
北陸道 式内社352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
若狭国(ワカサ) 式内社42座(大3座・小39座)
大飯郡(オホヒ・おおい) 7座(貞・並小)

近代社格制度 旧郷社

創建     年代不詳
本殿様式 流造 銅板葺

境内摂末社(祭神)

本殿の右手に 廣嶺神社・秋葉神社・八幡神社
奥には、上津地区から昭和五十年に移転された八幡神社と
仮本殿(遷座所)がある。

一口メモ

国道27号を舞鶴から県境を越えると福井県高浜町。いま問題になっている原発の集中しているエリアで、高浜町に高浜原発、隣のおおい町に大飯原発がある。高浜原発は昔そばまで行ったことがある。大飯原発も半島の先なので遠い。

青海神社小浜線・青郷駅の東1Kmほどの青郷駅と三松駅の中間地点、27号線に面して南向きの境内がある。
境内は南北に細長く、100m近くの参道が鬱蒼とした木々に囲まれている。日曜日に何か行事があったようで社殿横の会館は酒盛りで賑わっていた。

歴史・由緒等

祭神を青海郎女(飯豊郎女)とも伝える。青葉山(699m)が近い。この山は「若狭富士」とも呼ばれる秀麗な神奈備山であり、海側の中腹に青海神社が分祀されている。 東南山裾の若王子[なこうじ]山には、弥生中期の石剣等が青葉山山頂に先を向けて埋葬されていた。

由緒沿革

創祀年代は不詳であるが『延喜式神名帳』収載の式内社である。現在音読して「セイカイさん」とも、又俗称「大森さん」とも言う。御祭神の椎根津彦命は神武天皇東征の砌、御仕えになられ、海運漁業陶業殖産興業に御神徳のある方であるが、青海の首の祖神でもある。本居宣長翁の古事記伝には「履仲天皇の子(一説には孫)と言われる飯豊青海皇女を祀る」とも註記している。鎮座地の青は、平城宮址出土木簡に「青里」「青郷」と記されている如く、古来朝廷の大贄の貢進地であり屯倉であったと推測され、皇女との深い繋がりが考えられる。若越小誌には、「履仲天皇の青海皇女は飯豊皇女又、飯豊青皇女とも云ひ、若狭に御名代りの地を有せられり。阿袁郷即ち是にして、其郷名之より起る」とある。現在社殿後方、関屋川に近い窪地は、「禊池」と言い、飯豊青皇女の禊をされた涌泉の遺址と伝え、池水替え神事が七月一日に当年の禰宜役により実施される。

又、この他から北西方向を望めば、泰澄大師が開山されたという、霊峰青葉山が真近に聳えている。神社と山を結ぷ線上には、石剣石戈出土地や前方後円墳も所在する。往古、青葉山麓を中心として丹後国加佐郡の東西大浦地区(現・京都府舞鶴市)にも及んでいた。

『若狭国神名帳』には『正五位青海明神』、『稚狭考』には「青海大明神」とあるが、寛政七年(一七九五)九月・神祇管領長卜部兼倶より正一位の神階贈位に預かり併せて神額染筆下附を請い聴許された。明冶四四年五月六日に幣帛供進の神社に指定された。大正一三年八月五日に郷社に昇格、神饌幣帛料供進の神社に指定された。特殊神事には、シバノミイレ(柴祈年)の行事を今に伝えている。

御祭神 御祭神の椎根津彦命は神武天皇東征の砌、御仕えになられ、海運漁業陶業殖産興業に御神徳のある方であるが、青海の首の祖神でもある。本居宣長翁の古事記伝には、「履仲天皇の子(一説には孫)と言われる飯豊青海皇女を祀る」とも註記している。

-福井県神社庁-

境内・社叢

鳥居をくぐると広い境内で奥が深い。本殿の後方には、当社を創祀したと伝えられる青海皇女が禊をしたという
小さな池(窪み)が祀られている。境内右手奥の林の中に境内社がいくつか並び、
境内左手奥には、出雲大社拝所や青葉山拝所がある。

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社頭掲示板

  145-150x112

鳥居・社号標              手水舎

146  153

拝殿

152

本殿

本殿右手境内社 廣嶺神社・秋葉神社・八幡神社

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本殿裏手 八幡神社

  
潔池  水は枯れていた

地名・地誌

高浜町は大飯郡の西部地域でしかないため、以下大飯郡全域の歴史を記載する。 古代および大和政権下においては、大飯郡の名が示すように大炊寮という役所が管轄する地域であった。安倍氏や高橋氏など天皇家の食材を司る豪族が、拠点の一つを岡津地区や青郷に構え、塩や魚といった海産物を朝廷に納めていた。

最後の高浜城主木下利房は江戸の徳川家康から大飯郡全域の領有を許され高浜藩2万石が成立した。利房は関ヶ原の戦いにおいて西軍に属したため戦後領地を没収されたが、あらたに備中足守において25000石を領することを認められ足守藩主となった。

人口は1990年(平成2年)をピークに減少しているが、その減少幅は小さく、同じ若狭地方でも過疎化に悩む他の市町村とは状況を異とする。その一番の要因は町内の内浦地区にある関西電力の高浜原子力発電所の存在で、町の大きな財源でもある。また関西電力の協力の下、2003年には町内を横断する小浜線が電化された。敦賀市と共に地方交付税(普通交付税)の不交付団体である。

経済的な繋がりとして、舞鶴都市圏に属し、隣接する舞鶴市と日常的な交流が深く、また若狭地方の中心都市である小浜市とも交流がある。

若狭国大飯郡青郷
明治 大飯郡青郷村
大飯郡高浜町青

青郷は足利将軍家の領地である御料所であったが、室町幕府内で奉公衆の地位にあり、将軍家代官でもあった大草氏を逸見氏は攻めた。同じく足利将軍家の直属の家臣であったおおい町の本郷氏領・佐分氏領をも攻め、若狭に於ける三好政権下の武将の一人となる。しかし、より強大な織田信長の勢力が大飯郡に及ぶと、織田氏にあっさりと臣従した(織田氏により後に逸見氏は断絶させられる)。

地 図

福井県大飯郡高浜町青15-1

交通アクセス・周辺情報

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若狭湾の海水浴場、青葉山(別名・若狭富士)

参 考

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