式内大 村屋坐弥冨都比売神社
概 要
社 号 村屋坐弥冨都比売神社
大神神社別宮 村屋坐弥冨都比売神社
通称:村屋神社、「守屋の宮」「森屋の宮」「森屋明神」
延喜式神名帳
式内社 大和国城下郡 村屋坐弥富都比賣神社 大 月次相嘗新嘗
読み:古 ムラヤニマスミフツヒメ、現 むらやにますみふつひめ
境内社 式内社 大和国城下郡 久須々美神社
式内社 大和国城下郡 村屋神社二座
所在地 奈良県磯城郡田原本町大字蔵堂字大宮426
旧地名 大和国城下郡
御祭神 三穂津姫命(彌富都比賣神・みほつひめ のみこと)
配 大物主命(おおものぬし のみこと)
祭礼 10月10日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
城下郡(シキノシモ) 17座(大3座・小14座)
式内社 (大・月次相嘗新嘗)
近代社格制度 旧県社
創建 年代不詳
本殿様式 流造 銅板葺
境内摂末社(祭神)
境内摂社
恵比須神社 式内社 大和国城下郡 久須々美神社
祭神:天之久之比命 事代主命
式内社 大和国城下郡 村屋神社二座
祭神:天児屋根命、経津主神、比咲大神、武甕槌神、大伴健持大連、室屋大連
境内末社
式内社 大和国城下郡 服部神社二座 (鍬靫)
祭神:天之御中主命 天之御鉾命
大字大安寺カキノモリに鎮座していたが、南北朝時代に戦火に遭い、
現在地に移される。
市杵島神社・物部神社
祭神:炊屋姫命、宇麻志摩遲命 配 物部守屋連
文化財
村屋神社の社そう 県文化財
一口メモ
伊与戸の式内岐多志太神社から東南。境内社に式内社が三社ある。
歴史・由緒等
日本書記によると、主神 三穂津姫命(ミホツヒメ)は、高皇産霊命(タカミムスビノミコト)の姫神で大物主命(オオモノヌシノミコト)が国譲りをされたときその功に報いるためと大物主命の二心のないようにという願いから、自分の娘を贈られたという神話に出てくる神である。
この故事から縁結びの神、家内安全の神として信仰され、大物主命は大神神社の祭神で、その妃神を祭っていることから、大神神社の別宮とも称せられている。
かつて、この地では正月の大とんどで大神神社と村屋神社の火種子をもらって帰り、みよと(夫婦)火とし、それで雑煮を炊いて1年の家内安全を家族で祈願していたという習慣が残っていた。
「延喜式」神名帳 式下郡に村屋坐弥冨都比賣神社・村屋神社・久須須美神社・服部神社が記載されており、天武天皇元年(673)壬申の乱のとき村屋神が神主にのりうつって「わが杜の中を敵が来る。社の中つ道を防げ」と大海人皇子方の大伴連吹負将軍に軍備に対する助言をした。この功績によって神社として初めて位を天皇から賜ったと日本書紀に記されている。
その後も何度か位を賜り現在正一位森屋大明神の呼称が残っている。
壬申の乱の功を後世に伝えるためにこのとき功のあった三神を回る御渡が例祭に行われていた。三神とは村屋神を祭る村屋神社、事代主命を祀る久須須美神社、生雷神を祀る森市神社である。天正の頃(1580年頃)戦火に遇い社地を奪われ財源がなくなり、一時祭祀は中絶していたが、慶長4年(1599年)52代神主大神(森本)政重によって、現在の規模に縮小して再興を果たしたとされている。
『神社公式サイト』
延喜式内大社で、桜井市三輪の大神(おおみわ)神社の別宮といわれる。祭神は弥冨都比売と大物主命。通称を村屋社、又は森屋社といい、社伝によれば天武天皇がこの社に行幸し森の中の屋に籠られた故事にちなむものという。事実、日本書紀には「壬申の乱」において村屋神が大海人皇子に神託を与えたことが記されている。また、近江軍の犬養連五十君が村屋にとどまったとの記述も見え、中ツ道沿いにある村屋神社が「壬申の乱」の際には重要な戦略拠点であったと考えられる。戦国時代末には戦火を被り、社地を奪われ、一時途絶するが、社地を縮小して現在に至る。本殿は幕末の建築と考えられる。
『田原本町』公式ページ
境内・社叢
鳥居 社号標
石灯籠が整然と並ぶ長い参道 手水舎
社頭掲示板
狛犬
拝殿
本殿
本殿右境内社 村屋神社
式内社(大) 大和国城下郡 村屋神社
本殿右境内社 式内 大和国城下郡 村屋神社
読み:古 ムラヤ、現 むらや
御祭神天津屋根命(あまつこやね のみこと=天児屋根命)、経津主神(ふつぬしのかみ)、比咲大神 (ひめおおかみ=比売大神)武甕槌神(たけみかづちのかみ)、大伴健持大連(おおとものたけもちおおむらじ)、室屋大連(むらじおおむらじ)
明治19年(1882)室屋大連神と大伴健持大連神は追加
『式内社調査報告』 経津主神・武甕槌神・室屋大連神・大伴健持大連神
本殿左境内社 式内 大和国城下郡 服部神社
読み:古 ハトリ
御祭神 天之御中主命(あめのみなかぬし のみこと) 天之御鉾命(あめのみほこのみこと)
神社明細帳に「天之御中主命・天之御鉾命」
『磯城郡誌』「天御鉾命・誉田別命」
『大和名所旧跡案内』天御鉾命・誉田別命
恵比須神社(式内久須々美神社)
境内右手奥 物部神社・市杵島神社
地名・地誌
今こそ国道24号線から東にはずれた細い道だが、かつては平城京から藤原京までを南北にまっすぐ通る三道がほぼ4里(一里 = 531メートル、四里で約2120m)の等間隔でなしており、東から順に上ツ道、中ツ道、下ツ道と平行に並んでいる。現在でも形跡が残っている箇所も多く存在する。
神社はその中ツ道にあり、橿原市の天香具山北麓から奈良市北之庄町に至る直線道である。道筋は現在の県道51号天理環状線と概ね合致・平行している。また、『日本書紀』によれば、壬申の乱の奈良盆地での戦闘記事には、すでにこの三道の名が見えるので、天武朝以前には完成していたことが知られる。
地 図
交通アクセス・周辺情報
ホームページ 『神社公式サイト』
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