峰山町・大宮町(丹波郡) 京都(丹後国)

橘枳神社(式内 發枳神社)

概 要

社 号 発枳神社
延喜式神名帳 式内社 丹後国竹野郡 發枳神社・橘枳神社
読み:古 カラタチ、現 からたち
所在地 京都府京丹後市峰山町橋木字千原374
旧地名 丹後国竹野郡橋木村
御祭神 樋速日命(ひはやひ のみこと)
古くは天酒大明神・豊宇賀能咩命・姫宮明神(豊宇賀能売命)であつた。

例祭日 10月16日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
竹野郡(タカノ):14座(大1座・小13座)

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳
本殿様式   入母屋造

境内摂社(祭神)

愛宕神社・稻荷社
別当 発信貴山縁城寺

一口メモ

峰山町から網野町島津へ通じる府道663号を北上する低い峠の手前に橋木がある。地図には發(発の旧漢字)に手偏がついて撥枳神社となっている。難解な神社名であるので興味深い神社のひとつだったが、「からたち」を漢字で書くと枳。発はなんだろう。集落名の橋木(ハシギ)は撥枳の音読みから転嫁したものだとの説もある。

歴史・由緒等

『峰山郷土志』

【揆枳(からたち)神社(式内社、橋木、祭神 通速日命)】『延喜式』竹野郡発枳(からたち)神社である。「社号」について、『延喜式』に発枳神社とあって、カラタチノ神社と振仮名してある。カラタチは枳一字でもよい。『本草和名』に「枳は一名枳穀……和名、加良多知」とある。また古伝によると、垂仁天皇の御代、新羅の国の王子天日桙命が、九品の宝をもって竹野郡(塩干浜という)に着いた。その九つの宝の中に橘(キツ-たちばな)の木があった(一書、橘を持ち帰ったのは田道間守であるという)。今の木津は橘の音をとってあてはめた文字であるという。ところが、姫宮大明神(今の橋木)の御神託によって、その橘の中一本をゆずりうけ、今の社地に植えたから、韓国から渡来した橘というのでカラタチと呼んで神社名とした。その後、撥枳の二字をあてはめたが、ハチキと音読するようになり、ハチキがハシキに変化して、今の村名橋木や、縁城寺の山号発信貴が生まれたといっている。
なお、撥枳は、田道間守が常世ノ国(中国か)から持ち帰った名木であるというのも、同じ意味をさしているのであろう。
また、『延喜式』の発枳(からたち)は、音読してハチキと読むのが正しいとして、『和名抄』中、丹波郡七郷の一つではちきある口枳(くちのすき)郷は、八枳の誤りで、八枳郷であるという説もある。しかし、今のところ、口枳郷にあてはまる地域は確定していない。こうした古い時代の呼び名は、呼び名が先にあって、あとからこれに似た漢字をあてはめた例も多いし、また、その際音であてはめる場合と、訓や、意味から適当な文字をあてはめる場合とがある。
『延喜式』が完成した延長五年当時は、「カラタチの神社」と呼んで「発枳」の二字をあてはめたものであろうか。しかし枳(からたち)の上に発の字を加えたところをみると、ハチキと音読させるためのようにもうけとれる。
また、同じ漢字の中で、木偏の撥枳と手偏の撥枳の二通りが用いられている。同じハチキと読ませるにしても、カラタチを意味するならば木偏の撥の方が適当のようである。でなければ、全然無意味な漢字撥と枳を組み合わせてハチキと読ませたとも思えない。
なお、現在神社の烏居の額は、たしか「撥枳」と木偏であり、神主も『延喜式』どおり「カラタチ」と唱えている。この神社が『延喜式』の竹野郡の部に載せられていたことも前に述べた。

谷からいうと旧丹波郡(中郡)だが、古くは竹野郡だった。

古伝によると、垂仁天皇の御代、新羅の王子天日槍(アメノヒボコ)命が、九品の宝をもつて竹野郡鹽干濱に着いた。その九つの宝の中に橘(キッ=たちばな)の木があった。今の木津は橘の音をとつてあてはめた文字であるという。姫宮大明神(今の橋木)の御神託によつて、その橘の中、一本を譲り受け、今の社地に植えたから、韓国から渡来した橘というので、カラタチと呼んで神社名とした。

鹽干濱(塩干浜)は、木津なら志布比神社がある浜詰海岸だろう。
他にも京丹後市丹後町大山にも式内社論社 志布比神社があるが、位置的にだいぶ内陸部である。

志布比神社 京丹後市丹後町大山 祭神 志夫美宿禰命(塩干大明神)

社日塔(地神塔)

撥枳神社は、境内に社日塔が建てられている。この社日塔は五角塔で、祀られている祖神は、天照大御神、少彦名命(すくなひこなのみこと)(大国主命とともに力を合わせ国造りをした神)、埴安媛命(はにやすひめのみこと)(土の女神)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)(豊受大神)、大巳貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)の五神である。

境内・社叢

  

鳥居・参道                鳥居扁額

1021

二の鳥居

  107

拝殿                   拝殿・本殿

108  109

境内社

社殿左奥にさらに参道の高い石段。滅入りそうになる段数だったが登ってみた。神棚が3つあるが、境内社 愛宕神社・稻荷社。あとひとつの祭神は?

112

右:鳥居付近の荒神

地名・地誌

橋木村は、江戸期~明治22年の村名。「慶長郷村帳」には縁城村、元和8年の峰山藩の郷村帳には縁城寺村と見える。はじめ宮津藩領、元和8年からは峰山藩領。明治4年峰山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年丹波村の大字。

橋木は、明治22年~現在の大字名。はじめ丹波村、昭和30年からは峰山町の大字。平成16年から京丹後市の大字。

式内社・癸枳(はちき)神社があり、その社号が転訛した地名である。なお延喜式では癸枳神社は竹野郡に記載されている。

ー「丹後の地名」さんよりー

地 図

京都府京丹後市峰山町橋木374

交通アクセス・周辺情報

真言宗発信貴山縁城寺

参 考

「神詣」さん、「延喜式神社の調査」さん、「ようこそたにわの郷へ」さん

コメントを残す