国史見在社 甲賀市 滋賀(近江国)

油日神社(式内 川枯神社)

概 要

社 号 油日神社
読み あぶらひじんじゃ
別 名 明治時代までは「油日大明神」

式内社 近江国甲賀郡 川枯神社(論社)
所在地 滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
御祭神 油日神
〔配祀神〕西本殿 猿田彦神 東本殿 罔象女神
御神紋 木瓜に二ツ引
例祭日 5月 1日 油日祭り(例大祭)

社格等

国史見在社

式内 川枯神社

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
甲賀郡 8座  大2座  小6座

※川枯神社論社
八坂神社 滋賀県甲賀市水口町嵯峨 1606
〃 油日神社
〃 岳神社(油日神社摂社) 油日岳山頂

近代社格制度 旧県社
創建   (伝)聖徳太子が社壇を建立
元慶元年(877)以前。従五位下「三代実録」(最初の記録)
本殿様式 三間社流造 間口三間 奥行三間(重文)

境内摂末社(祭神)

八幡神社 神明神社 日吉神社 春日神社 金比羅神社 桜神社 常松神社 祖霊社

(境外) 白鬚神社 岳神社

文化財

本殿・拝殿・楼門・廻廊2棟 (国指定重要文化財)
福太夫神面 1面 附:ずずい子1躯(県指定文化財)
油日の太鼓踊(国選択) 奴振り(県選択無形民俗文化財)

一口メモ

滋賀県最南端で三重県境の甲賀市甲賀町油日へ。JR草津線油日駅の近く。今の道路からは山里だが、立派な式内社が鎮座していることが、いいにしえの伊勢街道で往来が多かったことを残している。油日神社が式内 川枯神社論社の一つになっている資料がわからなかったが、立派な古社で疑う余地はない。

油日岳を神体山としている。油日岳の山頂に油の火のような光とともに油日神が降臨したことから「油日」の名がついたと伝えられる。比叡山の地主神が日吉神(日吉大社)であり、油日神とは、油日の土地を守護する神である地主神だ。

知らなかったが、よく映画・ドラマロケに使われている神社のようだ。

映画「信長協奏曲」サブロー(小栗旬)と帰蝶(柴咲コウ)の大切な場面 2016年1月23日
映画「武士の献立」安信が剣の試合をした場所 2013年
映画「大奥」水野(二宮和也)とお信(堀北真希)が周りを気にしながら会うシーン 2010年10月1日
など

歴史・由緒等

ご 神 徳

油日大神のみ名は記紀にも見えず、又油日の名も国内に見当らない。たゞこの地に於いてのみ千数百年の昔から、油日大神とのみ申しあげて篤い信仰がさゝげられて来たのである。油日大神はアブラのヒの大神さまであって、万有始動の根元神として諸事繁栄発展の大本を司られる大神さまである。従って古来より諸願成就の神として衆庶の尊信あつく、又油の祖神として業界の崇敬があつめられている。
猿田彦命は道案内(サキダチヒコ)の神として方除授福のご神徳高く、又罔象女命は水神として衆庶の生業に大御恵を光被まします。

ご 創 立

南鈴鹿の層巒が南に尽きるあたり、神の御山の姿もおごそかに油日岳が聳えている。春朝翠霞の中に映ずる油日岳、旭光輝き亘る秋空にうき出る油日岳、四六時中仰ぎ見るこの御山のみ姿が人の心の糧となったことは今も昔も変りはない。油日大神は太古この油日岳を神体山として鎮まり給うたが、世を経て今のこの本社の地に移り鎮りましたのである。今も毎年九月十三日夜本社にて秋のまつりが行われるが、その前々日十一日の夜には信心の人たちによって岳の頂上にて一夜を参籠し夜を徹してご神火を焚き上げる千年来の古い姿が残されている。
その後今を去る千百参拾有余年の昔、陽成天皇の御宇元慶元年(八七七)十二月三日油日神に神階を授けられたことが国史三代実録に見え、所謂国史見在の古社である。

朝野の崇敬と甲賀の総社

元慶以降御代々々神階は累進して弘和の頃正一位に昇り給い、明応の棟札を始め古書古器皆正一位油日大神と見えている。この神階奉授のこと、或は朝臣参向のこと共朝廷の御崇敬の厚かったのを窮い得る。中世に入ると、或は明応の本殿再建、永禄の楼門建立となり、或は天正年間永代神領百石の寄進、元和奉献の鐘楼など甲賀武士及地頭領主等の数々の尊信の跡を残している。然もこゝに特筆すべきは、郡下官民が当社を以て「江洲に無隠大社」と仰ぎ「甲賀の総社」としてその御神徳を敬いまつったことである。即ち明応年間本殿造営の御奉加は実に近郷一円に亘り、油日谷、大原谷、佐治谷、岩室郷に於いて頭殿とうどうをはじめ多くの所役をつとめて当社大祭を奉仕し来たことは千年来の事実である。岩室の鎮守瀧樹神社、小佐治の明神佐治神社、石部の古社吉御子吉姫神社等の間に現に存している幾多の縁由、杣、横田、野洲、遠くは大戸の地域に及ぶ郡下全円その史実古伝に於いて或は神輿を頒ち、之を祭り、祭日を特定し、或は分霊と伝え、親子の縁を称し、その崇敬の跡を豊富に存している。
野洲川(天安河)の上流祝詞ケ原の聖地からは、常に油日大神と天照大神が遙祭されていた。かくして現に崇敬者は郡下四万余戸に及んでいる。この深い広い崇敬は即ち社頭の隆盛となり、維新前はその神領に於ても野山除地村内にて五百四十余町歩、近郷にて千百三十余町歩の山手米を有し、境内亦十一町三反七畝歩を算した。現に楼門内社前の壮厳な結構は六町歩の神奈備と相俟って他にその例なく、よく「甲賀の総社」としての真面目を呈している。

「神社公式サイト」

ご神徳、天地創成の母胎である「アブラ」に宿る「ヒ」(日、火、霊)の大御魂と戴き、萬象根元の神、諸願成就の神、油の祖神と仰ぐ。
創祀、国史見在社 三大実録に「元慶元年十二月陽成天皇丁酉朔三日己巳授近江国正六位上油日神従五位下」と。社伝縁起には用明或いは天武の朝と言う。住吉は油日岳を神山として奉祀。
朝野の崇敬、元慶以降天下諸神増一階の都度に増階に預り、明応二年上棟の本殿棟札には「正一位油日大明神」とある。円融天皇天元元年には橘朝臣敏保卿が勅を奉じて参向。
中世文書に「江州に無隠大社」「甲賀の総社」とあり、明応再建本殿の奉加には郡内一円三四七名から米一八五石五斗六升五合、金子四一貫四〇〇文その他が寄進され、毎年の油日まつりには甲賀武士の中から五頭殿が巡年参向、天正十四年には「甲賀中惣」より永代神領百石の寄進、甲賀武士五十三家はその総氏神として尊信、幕末には神前に血判の盟約書をささげている。都内有名古社との間には親子の縁を称し、分霊と伝え、祭日を特定するなど広い崇敬の跡を残している。
神領、正徳五年覚帳に「油日大明神境内御除地十一町三反七畝歩」と除地証文に「野山御除地千百三十四町歩」の山手米にて祭礼費用に充つとある。
旧社格、明治三十九年七月県社に列格。
摂末社、白鬚神社御祭神猿田彦神は油日神鎮座のサキダケ彦として祭祀、永正七年再興の棟札あり、神体山頂上の岳神社には油日神荒御魂及び罔象女神を祭る。境内神社は明治四十四年村内の十社を合祀、祖霊社は昭和二十五年氏子の祖霊を祀る。現社家慶長十一年神道裁許状吉次より十九代

「滋賀県神社庁」

境内・社叢

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鳥居                   社号標 懸社 油日神社

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手水舎                 楼門・廻廊(国重文)

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楼門(国重文)               拝殿(国重文)

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御本殿(国重文)

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本殿左手境内社              本殿右手境内社

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西の鳥居・梵鐘(市文化財)         お堂

神仏習合の名残りがよく残っている。

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不明だが神器庫にしては入口が立派なので

地名・地誌

地 図

滋賀県甲賀市甲賀町油日1042

交通アクセス・周辺情報

ホームページ http://www.aburahijinjya.jp/

参 考

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