石龍神社(豊岡市日高町久斗)
概 要
社号 石龍神社
読み:せきりょう
所在地 兵庫県豊岡市日高町久斗
旧地名 但馬国気多郡高田郷
御祭神 石龍と呼ばれる白蛇らしい
例祭日 石龍祭
社格等
創建 不詳
本殿様式 祠
境内摂社(祭神) なし
一口メモ
久斗区内に入り、日高興産という運送会社の手前左(南)にまっすぐな道を入ると、稲葉川方向への手前突き当たりに鳥居が見える。小型車ではかろうじて通れる道だが、普通車では?
隣の区で最も近くの小さなお宮さん。配達のたびに何度も通った道だが、神社まで行ったのは実は初めてだ。
地元では「せきりょうさん」という名で親しまれていて、石龍祭が近づくと、区内の軒先に石龍祭の赤い張り紙が貼られる。
歴史・由緒等
石と2本の木が作り出した自然の祠。
この小さな神社の敷地には土俵があり、毎年、子供たちによる奉納相撲が行われていた。普通なら村のおおやしろである式内久刀寸兵主神社には土俵があってよさそうだが見当たらないのにこの石龍神社で行われていたのはなぜだかしらないけれど面白い。
式内 久刀寸兵主神社(兵庫県豊岡市日高町久斗)の、
『平成祭データ』には、久刀寸兵主神社摂内社に粟嶋神社・石龍神社が記載されている。
いつごろか、今の場所に遷座されたと思われる。ちなみに道場には粟嶋神社。両神社が久斗村の東西の村境にあることは、村の守り神とされたのだろうと察することができる。
『校補 但馬考』
延喜式に久刀寸兵主神社あり。この村にいます也。またこの村の渓辺に巨石あり。中に小さな蛇ありてわだかまり居る。年齢を知らず。時々石の割れ目に身を現し、ついにその首尾を出す。土地の人は称えて石龍という。
『大明一統志』*を考察すると、「重慶府の城西20里に蟄龍巌(チツリュウガン)あり。石の割れ目より泉出て、岩下に注ぎ入る。その泉の中に二匹の小さな龍あり。雨を祈ればすなわち応ず。張公佐これか記を作ると、今此の地のある所も、蟄龍巌なり。」
と桜井勉先生は引用しているが、この神社がその中国の謂われに依るものかは不明だ。
[註]*『大明一統志』中国,明代の全国地誌。90巻。吏部尚書・翰林学士李賢の奉勅撰。本書に先行して,景泰帝が陳循等につくらせた《寰宇(かんう)通志》119巻(1456年(景泰7)刊)があり,その後1458年(天順2)に天順帝は李賢に命じてこれを重修させ,61年に成ったので《大明一統志》の名を賜った。その書名,体裁など《元一統志》に倣っている。巻頭序文に次いで図が配置され,本文は京師,南京,中都より十三布政司,そして朝貢国の順でその地誌が記述されるが,その記事は往々誤りをふくみ,必ずしも正確とはいえない。
境内・社叢
神社入口 鳥居
鳥居と土俵 社号標
石段(反対側から) 稲葉川沿いの参道
巨石が御神体で祠はない
土俵 シートが掛けられている
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