稲爪神社(式内 伊和都比売神社・宇留神社)
概 要
社 号 稲爪神社
読み:いなづめ
延喜式神名帳
式内社 播磨国明石郡 伊和都比売神社 (イワツヒメ)
古くは現本殿の西側に鎮座され、現在はご本殿に合祀
式内社 播磨国明石郡 宇留神社(ウル) 「播磨風土記」
所在地 兵庫県明石市大蔵本町6-10
旧地名 播磨国明石郡
御祭神 大山祇大神(おおやまつみのおおかみ) 面足大神(おもだるのおおかみ) 惶根大神(かしこねのおおかみ)
例祭日 (稲爪神社)10月8日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
明石郡(アカシ) 9座(大3座・小6座)
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳(伝:推古天皇の御代)
本殿様式 流造 銅板葺(昭和五十四年七月 本殿再建)
境内摂末社(祭神)
白玉稲荷社・猿田彦社・高倉稲荷社・庚申社
境外摂社
大蔵八幡神社 祭神:小千益躬 明石市大蔵八幡町
熊野皇神社 祭神:熊野三社権現 明石市東人丸町
文化財
一口メモ
式内社 播磨国明石郡 宇留神社、物部神社、弥賀多多神社、伊和都比売神社の比定社は複数あって、弥賀多多神社、伊弉冊神社、二社併記されている例が多い。
とくに伊和都比売神社が伊弉冊神社の有力な比定社は当社らしいが、稲妻神社が後に稲爪神社と変わったとあり、また伊和都比売御祭神が女神であるなら、稲爪神社の御祭神にそれらしき女神が見当たらない。イワツヒメがイナヅメと混同され、伊和都比売神社と比定されたのではないだろうか。まったく想像であるが。
歴史・由緒等
縁起
推古天皇の時代に不死身の鉄人を大将とした三韓(高句麗・百済・新羅)の軍勢が日本に攻めてきたが、九州では退治できなかった。
四国の伊予の役人、小千益躬が退治せよという命令を受け、一族の守り神「三嶋大明神」に祈ると、神様が現れ、「鉄人の弱みは、鎧兜で守られていない足の裏だから、これを矢で射よ」と言われた。
益躬は、降参したふりをして、朝廷へ向かう先導役となった。明石の浜で鉄人達が休息をした時、空が突然曇り、稲妻がおき、おどろいた馬から鉄人が落ち、足の裏を見せた。益躬は弓矢で足裏を射て鉄人達はほろんだ。
この矢を【鬼ざしの矢】という。益躬は、神の現れたこの地へお社を建て、守護神三嶋大明神を奉って「稲妻神社」と名づけ、後に名前は稲爪神社と変わった。稲爪神社から東に八百メートルの大蔵八幡町の八幡神社[元小千(越智)神社]に稲爪神社創建者の益射は祀られている。『神社公式サイト』
由 緒
推古天皇の御代、三韓我国を傾けんとして鉄人を大将として八千余人来攻したる際、伊予国小千益躬、之を迎え討てとの勅命を受け、氏神愛媛県大三島大山祇神社に祈願し、播州明石にて迎え討つ。
此の時大山祇大神の瑞験によりて一天俄にかきくもり、稲妻稲光の中に鉄人を平げることが出来た。
依って大山祇大神の現われ給うた地に一社を建て、稲妻大明神と崇め奉り、後世稲爪神社と改称。
「兵庫県神社庁」
境内・社叢
正面御神門(南) 扁額
注連柱(北) 社号標
手水舎
狛犬
注連柱・拝殿 拝殿扁額
本殿
境内社 ご神木
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
公共
◆山陽電鉄「人丸前駅」より南東へ300m
◆山陽電鉄「大蔵谷駅」より西へ300m
車 国道2号線黒橋下交差点と人丸交差点の中間南側
駐車場 あり(10台)
ホームページ
参 考
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他
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