伊勢市 式内大社 二十二社 三重(伊勢・志摩国)

豊受大神宮(伊勢神宮外宮)

概 要

社 号 豊受大神宮(外宮) 一般には外宮(げくう)と呼ばれる。正式名称:神宮 総称:伊勢神宮
延喜式神名帳 式内社 伊勢国度會郡 度會宮四座(ワタラヒ) 相殿坐神三座(並大 月次新甞)
読み:とようけだいじんぐう
正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)。親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも言う。

『神社公式サイト』http://www.isejingu.or.jp/ーを主に引用・参考。

所在地 三重県伊勢市豊川町279
旧地名 伊勢国度會郡
御祭神 正宮
主祭神 豊受大御神(とようけおおみかみ)
相殿神
御伴神(みとものかみ)三座 – 東に一座、西に二座
例祭日
日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)
毎日午前8時から午前9時までにかけての朝大御饌、午後3時から午後4時までにかけての夕大御饌の毎日2回、外宮御饌殿において御饌を供えて行う神事。

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』 式内社(大 月次新甞)
東海道 式内社731座 大52(うち預月次新嘗19)・小679
伊勢国 式内社253座 大18座・小235座
度會郡(ワタラヒ) 58座 大14座 小44座

中世社格制度  二十二社(上七社)
近代社格制度 (超越しており社格の対象外)

創建     雄略天皇22年(478)
本殿様式   唯一神明造

境内摂末社(祭神)

境内別宮(わけみや)
式内社(名神大)多賀宮(たかのみや) 祭神:豊受大御神荒魂
土宮(つちのみや) 祭神:大土乃御祖神
風宮(かぜのみや) 祭神:級長津彦命・級長戸辺命

境外別宮 式内社 月夜見宮  祭神:月夜見尊 伊勢市宮後1丁目

外宮摂社16社・末社8社
外宮所管社4社

一口メモ

伊勢神宮は平成25年「第62回式年遷宮」を迎える。一生にもう二度とない機会だと思い、「神社人」主催伊勢神宮参拝ツアーに参加した。月曜日早朝にも関わらず、全国から多くの参拝者で賑わっていた。
伊勢市街地、JR・近鉄伊勢市駅から南東、神宮参道を通って5分ほど歩いた所に鎮座する。

歴史・由緒等

概要

伊勢神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴(いすず) 川上にご鎮座の皇大神宮(こうたいじんぐう、 内宮=ないくう)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(とようけだいじんぐう、 外宮=げくう)及び別宮など125社神社の総称である。
正式名称は地名の付かない「神宮」である。『日本書紀』では、伊勢神宮と石上神宮(奈良県天理市)のみが「神宮」と記載されていた。

伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。
内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
広義には、別宮(わけみや)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。
皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、当宮は皇室・朝廷の権威との結びつきが強い。

神宮

その後、平安時代に成立した『延喜式神名帳』では、石上神宮に代わり鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と香取神宮(千葉県香取市)が「神宮」と記載された。
江戸時代まで「神宮」を社 号とする神社は、この3社のみであった。その後、筥崎宮(福岡県福岡市)、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)が加わった。
明治以降、天皇、皇室の祖先神や大和平定に功績のある特定の神を祭神とする神社の一部が、社 号を「神社」から「神宮」に改めた。第二次世界大戦終戦までは、「神宮」の社 号を名乗るためには勅許が必要であった。
戦後、神社の国家管理は廃止されたが、今もなお「神宮」を名乗る神社は特別の由緒を持つものに限られている。戦後、「神宮」に改称したのは、いずれも神社本庁の特別な承認を受けて改称した北海道神宮(旧札幌神社・北海道)、伊弉諾神宮(兵庫県)、英彦山神宮(福岡県)の3社と、神社本庁から独立して改称した新日吉神宮のみである。

神宮参拝の順路は、多くの場合まず外宮からというのが古来からのならわしです。
外宮の建物やお祭りはほとんど内宮と同じですが、屋根の千木や鰹木など細部にちがいがあります。 内宮と違ったところを見つけながら外宮を参拝するもいいかもしれません。

御祭神 豊受大御神(とようけのおおみかみ)

豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受大神として知られている。『古事記』では豊宇気毘売神と表記される。『日本書紀』には登場しない。別称、豊受気媛神、登由宇気神、大物忌神、豊岡姫、等由気太神、止与宇可乃売神、とよひるめ、等々。
神名の「うけ」とは食物のことで、食物・穀物を司る神である。このことより、衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。

歴史

外宮は平安初期の延暦23年(804年)に編纂された社伝『止由気神宮儀式帳』(とゆけじんぐうぎしきちょう)によれば、雄略天皇22年7月に天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託したので、同年7月7日、内宮に近い山田の地に、丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ豊受大御神を迎えて祀った(遷座)したことが起源と伝える。

古代は、皇室の氏神として、天皇以外の奉幣は禁止された(私幣禁断)。天武天皇の時代に斎宮が制度化され、『扶桑略記』によれば天武天皇の皇女である大伯皇女が初代とされる。
中世、朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された。神仏習合の教説において神道側の最高神とされる。また、外宮側の度会家行より伊勢神道(度会神道)が唱えられた。
戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったため、式年遷宮(後述)が行えない時代もあった。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講(伊勢講)を組織させる御師(おし・おんし)が台頭した。
近世江戸時代には、お蔭参り(お伊勢参り)が流行した。庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した。

近代、明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝された。この長期の空白の理由については諸説がとなえられているが、決定的なものはない。大日本帝国政府により全国神社の頂点の神社として位置付けられたが、第二次世界大戦以後は、宗教法人神社本庁発足により、全国神社の本宗とされた。内宮前に「神宮司庁」がある。
佐藤栄作首相が昭和42年(1967年)に参拝して以来、現職内閣総理大臣と農林水産大臣が、(正月三が日の混雑を防ぐため)主に1月4日の仕事始めに参拝するのが慣例である。

正宮は、写真撮影禁止で、正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなるが、幾重に板垣が巡らされており、拝所からは直接見ることはできない。正殿の背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並ぶ。正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地がある。
(ウィキペディア)

式年遷宮

遷宮(せんぐう)とは、神社の正殿を造営・修理する際や、 正殿を新たに建てた場合に、御神体を遷すことです。式年とは定められた年という意味で、 伊勢神宮では20年に一度行われます。

第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690)のことです。 それから1300年にわたって続けられ、昭和48年に第60回、平成5年には第61回が行われ、 平成25年に第62回を予定しています。

神宮にとって永遠性を実現する大いなる営みでもあるのです。
『神社公式サイト』

内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える。

境内・社叢

  
表参道入口                表参道火陰橋(ひよけばし)


社頭案内板

  
鳥居                 境内・右は神楽殿(遠方から。御札・お守りの授与所の撮影は禁止です)ご祈祷のお神楽や御饌(みけ)を行う御殿


九丈殿・五丈殿

  
正宮社頭 (境内は撮影禁止)

  
遷宮される新しい正宮


亀石 (神橋)

  
別宮 土宮

古くから山田原の鎮守として祀られ、外宮創建後は宮域の地主の神としてお祀りされている

  
別宮 風宮

風の神をお祀りする。鎌倉時代の元寇の時、神風を吹かせて日本をお守りになった神として知られている


御朱印

地名・地誌

地図

三重県伊勢市豊川町279

交通アクセス・周辺情報

鉄道
最寄駅:JR東海参宮線・近鉄山田線 伊勢市駅 (徒歩約5分)
バス
京都高速バス及び三重交通(一般路線バス・CANばす)で「外宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
東京高速バス及び三重交通・三交伊勢志摩交通・おかげバスで「伊勢市駅前」バス停下車 (下車後徒歩5分)

伊勢自動車道 伊勢西ICから、三重県道32号伊勢磯部線(御木本道路)を北へ約5分。北御門前に434台収容の無料駐車場あり[8]。

参 考

『神社公式サイト』・ウィキペディア他

コメントを残す