須津彦神社(式内 吾野神社論社)
概 要
社号 須津彦神社
式内社 丹後国與謝郡 吾野神社
読み:すづひこ 古 吾野神社 ワカヤ
所在地 京都府宮津市須津字吉里1564
旧地名 丹後国與謝郡
御祭神 去來穗別尊(いざほわけのみこと=履中天皇)、黒比賣命(くろひめのみこと=履中天皇妃)
例祭日 4月25日「太刀振り」
社格等
吾野神社[ワカヤ]論社
須津彦神社[すづひこ]「去來穗別尊、黒比賣命」京都府宮津市須津字吉里1564
吉野神社「吉野大神」京都府宮津市文殊字宮ノ谷287
天満神社「菅原道眞」京都府与謝郡加悦町大字加悦字天神山50-1
阿知江[山+石](イソ)部神社
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
與謝郡(ヨサ):20座(大3座・小17座)
式内社
近代社格制度
創建 不詳
本殿様式 覆屋に入っていてよく見えなかったがおそらく流造
境内摂社(祭神)
稲荷神社 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
宇多和津神社 隼総別命(はやぶさわけのみこと)
八幡神社 誉田別天皇(ほむたわけのすめらみこと=応神天皇)
五社
西之荒神 御祭神不明
東之荒神 御祭神不明
大社大神 御祭神不明
廣峯大神 御祭神不明
若宮神社 弘計天皇(おけのすめらみこと) 億計天皇(おけのすめらみこと) 大国主命(おおくにぬしのみこと) 須佐之男命(すさのおのみこと)
一口メモ
野田川が天橋立の内海である阿蘇海に注ぐ南。国道176号から178が交わる消防署前交差点を東へ200m北近畿タンゴ鉄道宮津線岩滝口駅で南に入り、郵便局のある広い旧道をしばらく東へ行き吉津小前で左にカーブ。私はもうひとつ駅側の道から進んだ。社叢の杜が見てくる。吾野神社論社となっているが、それを除いても立派な神社だ。道村の日露戦争出兵兵士の碑が建てられている。
『丹後旧事記』によれば、阿知江[山+石](イソ)部神社は、今は須津彦須津姫大明神と称す。
神社口実記には、丹後国吉佐倉橋山に祀られる神二座は、{隼総別命|はやぶさわけのみこと}女鳥王と云う。応神天皇の皇子にして仁徳天皇の異母兄弟。古事記によると、仁徳天皇に仕えていたが旦波の国與佐の倉梯山に隠れてしまった。寵愛していた皇后は、姉弟連て旦波に走った。しかし與佐の倉梯山に隠れていたが死んでしまった。神社口実記には、須津彦の須津比売と奉る二神は、隼別女鳥王なり。あるいは阿知江[山+石](イソ)部の神社と云う。
もうひとつの阿知江[山+石](イソ)部神社の比定社としていうのは、
阿知江イソ部神社(京都府与謝郡与謝野町岩屋)と丹後国吉佐倉橋山が近いので、阿知江[山+石](イソ)部神社ではないかと主張するものか。
歴史・由緒等
立派な神社なのになぜか史料がないので探した。
『丹後旧事記』
速総別尊。品陀和気尊の記に曰く(応神天皇也)、娶桜井田部連島垂根女糸井比売の御子、速総別尊島垂根の尊は、当国與謝の郡筒川の庄日量里浦島太郎が祖也風土記に見えたり。
日本古事記に曰く、品陀和気尊の記に曰く、娶丸迩比布礼能意富美女名は矢河枝比売生御子宇遅和気郎子次妹八田若郎子女次女鳥王(以上三柱)。
古事記に曰く女鳥王大鷦鷯尊(仁徳天皇)仕るを速総別尊盗出て旦波の国與佐の倉梯山に隠る。同書に曰く大鷦鷯尊女鳥王寵愛深き故皇后妬み強く姉弟連て旦波に走る。與佐の倉梯山に隠れ軍して後死也霊王谿の城王落峠も此古跡也。…神社口実記に曰く丹波国與佐霊王谿城倉椅の須津彦の須津比売と奉る二神所謂隼別女鳥王なり。或は阿知江・部の神社と云。
境内・社叢
鳥居・社号標 手水舎
手水
拝殿 拝殿扁額
本殿
左境内社 (左から)稲荷神社 宇多和津神社 八幡神社
右手境内社 五社
地名・地誌
須津
江戸期~明治22年 與謝郡須津村
明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属した、同22年吉津村
昭和29年 宮津市
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