田中神社(横大路・式内 飛鳥田神社)
概 要
社 号 田中神社
読み たなか
かつては「牛頭天王田中神社」と称していた
延喜式神名帳 式内社 山城国紀伊郡 飛鳥田神社 一名 柿本社
所在地 京都市伏見区横大路天王後51
御祭神 素盞嗚尊 (配祀)稲田姫尊 八俣遠呂智
例祭日 4月10日 春季例祭 10月第2日曜日 秋季例祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
紀伊郡 8座(大3座 小5座)
式内社
近代社格制度 旧村社
創建 伝:平安中期の治歴年間
本殿様式
境内摂末社(祭神)
文化財 本殿 京都市登録有形文化財
一口メモ
府道13号線側から入った。あとから南の表参道鳥居を忘れていたのに気づく。
紀伊郡 飛鳥田神社は論社が5ヶ所と多く、当社の論社には、飛鳥田神社・田中神社という二つの呼称がある。別の意味で調べ甲斐がある。
《山城国紀伊郡 飛鳥田神社 論社 一名柿本社》
飛鳥田神社(柿ノ本町) 別雷神 市杵嶋姫命 京都市伏見区横大路柿ノ本町11
田中神社(横大路) 素盞嗚尊 京都市伏見区横大路天王後51
飛鳥田神社(城之越町) 荷田竜頭之遠祖霊 京都市伏見区下鳥羽城之越町6
伏見稲荷大社境内社 京都市伏見区深草藪之内68
田中神社(本町) ? 京都市東山区本町19
歴史・由緒等
当初は山城国紀伊郡下鳥羽田中里(現在地不明)に社殿があり。
天正年間(1573-92)大洪水で現在地に遷す。
孝徳天皇白雉4年(653)天皇貴布禰賀茂両神の神託によって横大路に宮を造り、別雷命を勧請し、翌5年4月20日齋主卜部倉見をして奉幣せしめられたのを以つて當社の起源とすると云い伝えている。
この地域に飛鳥田神社があったのは確実であるがその継承社がいずれなのかは決めがたい。
治歴年間(1065-68)に祇園感神院(現八坂神社)から牛頭天王を勧請し、地域の守護神として奉斎したのが始まりとも伝。「社頭掲示板」
延喜式神名帳に、『山城国紀伊郡 飛鳥田神社 一名柿本社』神名帳頭注(1803、皇学叢書所収・1927)には「横大路村に在り。別雷神裔神を祭る」とある。
境内・社叢
府道沿い参道入口の社号標には「北向虫八幡宮」とある 手水舎
拝殿前狛犬
本殿
拝殿左手境内社 左から出雲社、春日社 北向虫八幡宮
右手境内社 左から道祖社(猿田彦命)、天満宮社(菅原道真) 右手奥境内社 草薙社(草薙剣・八俣遠呂智霊)
右手奥境内社 雲水社(市杵嶋姫命)
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式の調査」さん、「戸原のトップページ」さん、「下天の内」さん、他
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