式内 咋岡神社(飯岡)

      2017/02/11

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概 要

社 号 咋岡神社
読み くいおか
延喜式神名帳 式内社 山城国綴喜郡 咋岡神社 鍬靫

所在地 京都府京田辺市飯岡東原62
御祭神 宇賀乃御魂神 (配祀)菅原道真
江戸時代には宇賀乃御魂神(ウガノミタマ)と菅原道真公を祭神として、天神あるいは天神宮と呼ばれていた
例祭日 10月15日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
綴喜郡(ツヅキ) 14座 大3座 小11座
式内社

近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式

境内摂末社(祭神)

八幡宮(ホムタワケ)・厳島神社(イチキシマヒメ) 皇太神宮(アマテラス)

一口メモ

木津川が西から北に流れを変えると左岸は京田辺市。咋岡神社は木津川西岸の田園地帯にぽつんと見える飯岡と、もう一つの論社は北西の草内と2社にある。府道65号線を木津川左岸伝いに北上し、飯岡小山で二股に別れる狭い右を進むと神社なのだが、左へ進んでしまったようだ。飯岡車塚古墳、桜井古墳などがあり、古い雰囲気が漂うなだらかな丘には集落が多く道が細いので、鎮守の森は見えるのだが社頭にたどり着くのに手間取った。

歴史・由緒等

木津川の氾濫により、江戸中期の元禄8年(1695)に現在地に移され、その際に菅原道真が新に祭神に加えられ整備されたことが、文書と石燈籠銘文から判明する。
元の位置は、飯岡の北端で木津川と普賢寺川の合流点の箇所であったと口伝されている」(小字に草内宮ケ森という場所がある)
また、山城綴喜郡誌(1908・明治後期)には、
「本社は元当字の北境宮ノ森に鎮座ありて、当所外2部落の総社なりしが、永享年間(1429–41)、洪水のため被害ありしを以て、各部落に分離したるに際し、当社は其の宮元なるにより、尊像・稲倉魂神(ウカノミタマ)を奉迎し、現今の地に勧請奉祀せしものなり」…(草内宮ケ森の対岸に飯岡大森という小字あり)
とあるという(式内社調査報告・1979)。

おそらく、草内・飯岡の氏神であったが、木津川の氾濫により飯岡に遷され、また草内でも分かれて咋岡神社を祀ったのであろう。元の社地から2社はほぼ同じ距離に移転したものなので、どちらが式内社 咋岡神社かは決め難く、どちらも式内社 咋岡神社であると言えるかも知れない。

境内・社叢

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鳥居                   社号標

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手水舎                  割拝殿

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本殿前に狛犬が2対ずつ

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本殿

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本殿左手 八幡宮(ホムタワケ)・厳島神社(イチキシマヒメ) 右手 皇太神宮(アマテラス)か?

地名・地誌

飯岡

特選神名牒(1876)が引用する式社考徴に、
「上古は今の飯岡即ちクヒオカなり。飯岡と書るは食物故に借りたるを土人(庶民)ら字のままに伊乃乎加(イノオカ)と唱ふることになれるより、咋岡は飯岡村の一地の名と成はてたる也」
とあるという(式内社調査報告)。
文意が理解しがたいところもあるが、大略、クヒオカの“クヒ”は食物を指す語で、食物を“イヒ”と呼ぶことから、クヒオカが訛ってイヒオカとなったと解され、これからみてもウカノミタマを祭神とするのは妥当であろう。

なお、京都府京丹後市にも式内・咋岡神社があるが、その祭神は保食神(ウケモチ)あるいは豊宇賀乃売(トヨウガノメ)という。この2神も食物の神であり、当社祭神と同じといえる。
「戸原のトップページ」さん

地図

京都府京田辺市飯岡東原62

交通アクセス・周辺情報

参 考

「戸原のトップページ」さん、「延喜式の調査」さん

 - 京田辺市・八幡市・城陽市・井手町・宇治田原町(綴喜郡) ,