嘉羅久利神社(式内 同社坐韓国伊太弖神社)
概 要
社号 嘉羅久利神社
式内社 出雲国意宇郡 同社坐韓国
式内社 出雲国意宇郡 佐久多神社
『出雲国風土記』「佐久多社」
読み:からくりじんじゃ
所在地 島根県安来市広瀬町広瀬364
旧地名 出雲国意宇郡
御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと) 韓国五十猛命(からくにいそたけるのみこと)
例祭日
10月24日 例大祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
意宇郡(オウ):48座(大1・小47)
式内社
近代社格制度
創建
本殿様式 大社造檜皮葺
境内摂末社(祭神)
一口メモ
富田八幡宮を探してナビによるとすぐそばまで来ているのだが、中央運動公園のそばに神社を見つけた。式内社にしては境内が小さいので違うだろうと思いながら、犬を連れた散歩中のご婦人に「ここは村の神社ですか?」と尋ねたら「嘉羅久利神社です。」と富田八幡宮の車道の行き方も教えていただいた。嘉羅久利神社も探していたのでラッキーだった。
歴史・由緒等
天平5年(733)2月30日「佐久多社」『出雲国風土記』
慶長5年(1600)4月1日毛利氏寄進
寛永12年(1635)大洪水本社流失
天明元年(1784)現在地に遷風土記の「佐久多社」二社のうちの一に相当する。
天平以前三笠山の辺に在り、中古訛つて加栗、後更に訛つて嘉羅久利神社(祭神韓国五十猛命)と唱ヘたという。
「天明元年(1784)源近義公神告を受け社殿を三笠山頂より現在の鎮座地三笠山麓に移し修復の上二柱の神造を刻し奉納せらる。」と『神国島根』にある。
拝殿の額には「嘉羅久利神社 佐久多神社」と併記してある。-「延喜式神社の調査」さんより-
社伝によると、カラクニが訛り中古には加栗神社となり、さらに後世に訛ってカラクリと称するようになった。
式内社 出雲国意宇郡 同社坐韓国伊太弖神社とあるが、松江市東出雲町の式内揖夜神社にも同社坐韓国伊太弖神社がある。出雲には韓国伊太弖神社があちらこちらに見られるのが不思議に思っていた。同社というのは出雲国式内社のみにある表記なのだが、相殿神もことだろう。「韓国伊太氐神社は出雲国内に、意宇郡3社、出雲郡3社の計6社がある。
佐久多神社も『出雲国風土記』には二社ある。
松江市宍道町上来待1346 の本宮神社境外摂社
ややこしい限りだが、出雲は『出雲国風土記』編纂713年(和銅6年)当時、すでに同じ社号の神社がそれぞれ存在していた証であり、神話の国たる所以だと納得するのである。当時に論社みたいに同名社があったので編纂者がもれなく記載したとすれば、1300年も経った現在に誰もわからないのでそれはそれで楽しむとしよう。
境内・社叢
鳥居 随神門
社殿
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