式内 矢田神社(京都府京丹後市久美浜町海士)
概 要
社号 矢田神社
式内社 丹後国熊野郡 矢田神社(論社)
読み: やだ
所在地 京都府京丹後市久美浜町海士509
旧地名 丹後国熊野郡海部郷
御祭神 建田背命
(配祀)和田津見命 武諸隅命
例祭日 4月14日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
熊野郡(クマノ):11座(並小) 式内社
近代社格制度 旧村社
創建 垂仁天皇のとき河上摩須が勧請
本殿様式 流造板葺
境内摂社(祭神)
陰森神社・山王神社・山神神社
一口メモ
国道312号線を海部小学校の北、海士集落の東山裾。
歴史・由緒等
海士にある矢田神社と2つある熊野郡式内社矢田神社の論社である。
式内社にしてその創立最も古し、按するに海士の地は往古神服連海部直の居住地にして、館跡を六宮廻りという。海部直は丹後国造但馬国造等の祖にして、扶桑略記にも丹後国熊野郡川上庄海部里を国府となすとあり。
されば、海部直の祖たる建田背命及その御子武諸隅命和田津見命を斎き祀れるも深き由緒の存するなり。
-「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年-
境内・社叢
鳥居 境内
拝殿 拝殿・本殿
境内社
地名・地誌
矢田(ヤタ)
矢田部とは 矢つまり戦いで勝ち取った領地田を矢田といい、そこに住まわせた配下の部民を矢田部とした。またはヤハタ(八幡)と同じではないだろうか?
四道将軍の一人丹波道主命は勅命により山陰地方平定した。そして当初の物部系ご祭神である国津神から応神天皇、神功皇后としたのであろう。武諸隅命(たけもろずみのみこと)は、矢田部造の遠祖。崇神六十年七月十四日、天皇の「武日照命(穂日命の子・建比良鳥命のこと)が天から持ってきた神宝が出雲の大神宮にある。それが見たい」との詔により、出雲に遣わされる。
出雲臣の祖・振根は筑紫に行っていて留守だったため、その弟の飯入根が神宝を差し出したという。 別名を大母隅。(『紀』) 『旧』天孫本紀にも同様の記載があり、復命したのちに大連になり、神宮(石上)を奉斎することになったとある。 ただし、大母隅は彼の弟で、別人。 物部胆咋宿禰の娘・清媛を妻として、多遅麻らを生むという。 京都府から府道706号と国境の峠を越えて同じ道の兵庫県側の県道703号奥野には、大生部兵主神社がある。アメノヒボコ(天日槍)の5世の子孫、田道間守命(多遅麻毛理)を主祭神とする中嶋神社のある旧三宅村で、但馬ではこの名残がなぜか峠の重要箇所には八幡神社ではなく必ずと言っていいくらいに「兵主神社」があるのと共通点が見られる。与謝野町野田川石川の矢田部神社から神懸峠を越えると薬王寺に式内論社の大生部兵主神社があるのも前記と類似している。
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
國學院大學「神道・神社史料集成」、「延喜式神社の調査」さん、他
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