高倉神社(綾部市)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 高倉神社
読み: たかくら
所在地 京都府綾部市高倉町奥路
旧地名 丹波国何鹿郡
御祭神

本社 高倉以仁王(もちひとおう)
末社 皇大神宮 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
八坂神社 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
金比羅神社 大物主命(おおものぬしのみこと)
稲荷神社 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
天満宮 菅原道真(すがわらのみちざね)
十二士神社 近臣十二士(きんしんじゅうにし)
伊弉諾神社 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)
大地主神社 大地主神(おおじぬしのかみ
例祭日

大祓祭 秋   祭 10月第二日曜日

社格等

近代社格制度

創建

本殿様式

境内摂社(祭神)

八坂神社 天照皇大神宮  大地主神社(左) 伊邪那伎・伊邪那美神社(右)

文化財

京都府登録文化財 高倉神社拝殿 江戸時代
京都府決定 高倉神社文化財環境保全地区 環境保全地区
綾部市指定 ヒヤソ踊 無形民俗文化財

一口メモ

御手槻神社から移動したので、 府道74号線 を500mで左折して
650 m進み、右折してそのまま府道74号線 を2.3 km進む。左折して広い道なりに曲がりながら約500m行くと広い駐車場がある。

綾部駅からは、左折して府道8号線に入り、1.4 kmで味方(交差点) を左折して、国道27号線 に入り、3.5 km行き、綾部工業団地(交差点) を左折する。右折して 府道74号線 に向かう。230 mで左折して、500 m行き、左折して府道74号線に入る。 高倉神社の案内表示がある。

福知山市や丹波市にもタカクラと読む式内 高座神社がある。この場合のタカクラは、天皇や将軍が、謁見などのときにすわる座席。たかみくら。神の座ますところ。西坂町にも式内高藏神社がある。藏と倉は同じく、高倉とは、建物の床を高くし、柱で支える構造の倉のこと。字に意味が含まれるとすれば、高倉があった場所か。

歴史・由緒等

高倉神社由縁略記
治承年間、平清盛横暴を極め壇に朝権を寿し、畏くも後白河法皇を幽閉し奉りしを以て、孝心深き第二皇子高倉宮以仁王は、父君を幽閉より救い、更に皇室の隆盛を挽回せんと、源三位頼政に令旨を下し賜ふ。頼政奉じて勤王の兵をあげ、治承の難に至る。

逸道の激戦に官軍利あらず、頼政は宇治の平等院で自刃。宮は南都へ御落延の途中光明寺下で流れ矢に当たり、薨御と偽り、実は近臣大槻光頼、渡辺俊久等十二士と潜に頼政の領地丹波路に供奉し、宮をして一時の危難を避け奉りしが、宮は不幸当地に御着馬の頃から、御矢傷次第に重く、治承四年六月九日吉美郷里村で薨御し給ふ。

翌養和元年九月九日神霊を奥谷の森合の高倉に(現在地)奉遷し、高倉天一大明神と勧請せり、 尓来御神徳は四方に輝き、世直しの神、五穀豊穣、万病平癒、殊に胃腸病の快癒に御霊験高く、腹痛救護の神と世人の崇敬を聚め給ふ。

降って元文年間神殿挙げて回録に罹り、旧記神宝悉く鳥有に帰したが、御神像のみ火中より収めて神殿に奉安した。神殿の再建は延享三年に落成したが、建設以来星霜を閲し、再び廃頽に傾き、明治四十年再建を計画、同四十三年八月竣工、旧神殿は拝殿に改造し、新たに神殿竝びに透塀を造営、神域も拡張した。更に昭和五十三年奉紀八百年を記念し、宮の遺徳を追慕顕彰せん為、拝殿の前に神札授与所、大鳥居附近の参道石畳の新設、社務所の修復、新社務所の屋根の葺替、駐車場の新設等、広く氏子竝びに十二士後裔その他信仰者有志の多額の寄進を得て、昭和五十五年文字通り神社の面目一新、近郷稀に見る神社として整備された。 ー「高倉神社社務所」

境内・社叢


社頭掲示板


境内入り口

  
手水舎                  石灯籠

  
境内 ちょうど7/1で、6/30 夏越祭(茅輪くぐり)がまだありました  唐破風作りの拝殿(京都府登録文化財)

金細工と彫刻が豪華

  
本殿

  
本殿右奥 伊邪那伎・伊邪那美神社鳥居   原生林が生い茂り薄暗い社叢は神秘的 中央が夫婦杉

  
大地主神社鳥居 大地主神社(左) 伊邪那伎・伊邪那美神社(右)  神社の裏にある古木 夫婦杉

  
境内社 天照皇大神宮    八坂神社  十二士神社・稲荷神社・天満宮・金刀比羅神社

地名・地誌

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

「綾部の文化財」さん、ウィキペディア

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